2016-01-01から1年間の記事一覧

商品テスト(日用品のテスト報告) 鉛筆 1955年

花森安治といえば、「カステルの鉛筆」。濃い緑色の塗りに金文字のドイツ製鉛筆は、花森安治のお気に入りでした。そのカステルの鉛筆が登場する初記事が、初期の商品テストです。 日用品をテストした報告 ★その3 鉛筆 掲載は昭和30年、第28号。終戦から…

カスタード・プディングのレシピ 『暮しの手帖』1960年

白、黄色、そして黄金色 とと姉ちゃんに登場した「ホットケーキ」が掲載されたのは、昭和25年の第7号。レシピは、巴里コロンバン銀座店が担当。その次の号に掲載されたのが、やはり巴里コロンバン銀座店の「蒸し器のプディング」。まだ記事は、モノクロの…

1949年のおセンタク『暮しの手帖』

昭和24年夏の第4号。平塚らいてうの「ゴマじるこの作り方」、直線裁ちのコドモ服などがのっている。もちろん、電気洗たく機はまだなかった。 センタクはどこの家でもタライとセンタク板でごしごしと洗っていた。手前に見えるのは、井戸の水をくみ上げる手…

『暮しの手帖』 初期の商品テスト アイロン・電気ガマ・トースター

初期の商品テスト一覧 『暮しの手帖』の柱となった商品テスト。初めの頃は「日用品のテスト報告・暮しの手帖研究室」というタイトルでした。第1回めの〈ソックス〉が掲載されたのは、昭和29年の第26号。それから「日用品のテスト報告」というタイトルは…

「暮しの手帖研究室」の協力者を募集 1954年

「とと姉ちゃん」の第127話は、アイロンの商品テスト。ドラマでは、主婦テスターにアイロンがけを依頼しています。実際に、昭和29年の第27号で、編集部は「暮しの手帖研究室」に協力してくれる読者を募集しています。(商品テストの第1回目となる「ソッ…

ジャムを作りましょう サト・ナガセ『暮しの手帖』1954年

ページをめくっていて、写真の美しさに思わず手がとまってしまったのが、こちら。 イチゴの季節です ジャムを作りましょう サト・ナガセ バロック期のイタリアやオランダの絵画を見るようでもあり、モノクロを超えた色彩感と質感が伝わってきます。竹を編ん…

商品テストは消費者のためではない 『暮しの手帖』100号

花森安治「商品テスト入門」 『暮しの手帖』が日本ではじめて商品テストを公表してから17年目。第100号の出た昭和44年(1969年)までには、ソックス、マッチ、鉛筆、電球など身近な生活用品から始まって、アイロン、トースター、洗濯機、ストーブ…

童話「おくびょうなうさぎ」 富本一枝と平塚らいてう 1952年

平塚らいてうの座談会とサプライズ 第4号の平塚らいてう「ゴマじるこ」から3年。平塚らいてうが『暮しの手帖』に再登場するのは、第18号(昭和27年)の「我が若き日」という座談会になります。岡田八千代、林きむ子、山川菊栄、平塚らいてうと、明治に…

商品テスト(日用品のテスト報告)その1 ソックス 1954年

商品テストが誕生するまで 第20号(昭和28年)の「日本品と外国品をくらべる〈石けん〉 」は、商品テストの前身となった記事です。テストで取り上げた石けんは、すべて商品名は実名で出しています。しかし、石けんの洗浄力や、石けんが皮膚をあらす「遊…

石けん 日本品と外国品をくらべる 『暮しの手帖』 1953年

商品テスト前夜 昭和28年、第20号 「日本品と外国品をくらべる・石けん 暮しの手帖研究室」 「暮しの手帖研究室」というコトバが初めて登場した記事だと思うのですが、この〈石けん〉の比較はまだ「商品テスト」の前段階です。 『暮しの手帖』の柱のひと…

商品テストは「暮しの手帖研究室」から

商品テストと切っても切れないもの 『暮しの手帖』の柱のひとつだった「商品テスト」その「商品テスト」と切っても切れない存在だったものがあります。それは、「暮しの手帖研究室」 雑誌に初めて「暮しの手帖研究室」が登場したのは、昭和28年、第20号…

『暮しの手帖』に広告を載せないわけ 花森安治

〈商品テスト〉はヒモつきであってはならない 「ときどき、暮しの手帖に広告をのせないわけを聞かれる。理由は二つある。」 『暮しの手帖』に広告を載せない、広告費をもらわない理由について・・・花森安治は第100号の「商品テスト入門」のなかで、こう書い…

平塚らいてう「陰陽の調和」から 1949年

「暮らし」について 平塚らいてうが『暮しの手帖』に初登場したのは、第2号(昭和24年)に掲載された「陰陽の調和」というエッセイ。花森安治は、エッセイの原稿はあえて専門のことについてでなく、「暮らし」について書いてもらおうと考えていたようです…

蒸し器のプディング レシピ『暮しの手帖』1950年

ホットケーキの次は? 『暮しの手帖』のグラビア・ページに初めて掲載された食べ物の記事、それが「誰にでも必ず出来るホットケーキ」でした。レシピと作り方は、銀座一流店「コロンバン」の門倉国彦氏が担当。では、ホットケーキの次に掲載されたレシピは・…

フライパンの存在感 『暮しの手帖』第2号 1949年

焼あとのレンガで作った煖炉 「とと姉ちゃん」第90話では、終戦後の焼け跡に、間に合わせに建てられたバラックで何とか暮らす人たちを立ち退かせる事業に背を向けて、常子の雑誌作りに応じる花山の姿がありました。この場面で花山が拾い上げて手にしたのが、…

直線裁ちは着こなし勝負?『暮しの手帖』創刊号

創刊号の作品から 『暮しの手帖』創刊号に掲載された、6点の直線裁ちの作品。☆紺ガスリの服 ☆赤と黄の格子縞☆ジャンパー・スカート ☆更紗もようのツーピース ☆袖なし外套 ☆銘仙地の格子縞「紺ガスリの服」と「赤と黄色の格子縞」の2点は前回の記事で紹介し…

洋裁学校にモノ申す 花森安治 『暮しの手帖』創刊号

創刊号の「服飾の読本」から 朝ドラ「とと姉ちゃん」のなかで、花山と常子らが直線建ちの講座を開いて、当日会場に行ってみると、応募者はたくさんいたはずなのに誰も来ない、、実は、チケットを洋裁学校が買い占めてしまっていた、、という場面があります。…

直線裁ちのデザイン 『暮しの手帖』創刊号

着物を活用するために 昭和21年、銀座から『スタイルブック 1946 夏』が創刊されます。 『暮しの手帖』が創刊される2年前のことです。 「いろいろ考えると、日本の着物はなかなかいいものだ。戦争でふだん着るものには不自由しているが、まだ、昔からの着…

スタイルブックと直線裁ち 『暮しの手帖』創刊前

鎮子さん、花森安治と出会う 「とと姉ちゃん」のモデルとなった大橋鎮子さんが花森安治さんと出会ったのは、昭和20年10月なかばのこと。防空壕のなかで、戦争が終わった後のことをすでに考え、終戦の二ヶ月後には花森さんに出版の相談に行くのですから、…

外国のファッション雑誌と下着について『暮しの手帖』創刊号  

アメリカの流行雑誌から 『暮しの手帳』創刊号のグラビアページには、「ブラジアのパッドの作り方」という記事があります。「外国の雑誌を見ておりますと、ずいぶんと下着の広告が目につきます。それも大部分はブラジアとコルセットの広告で、いろいろの型や…

ブラジアのパッドの作り方 『暮しの手帖』創刊号 

着物から洋装への必需品だった 『暮しの手帖』創刊号のグラビア・ページでは、〈可愛い小もの入れ〉 〈直線裁ちのデザイン〉 〈ブラジアのパッドの作り方〉 〈自分で結える髪〉・・・と記事が続いていきます。〈ブラジアのパッドの作り方〉という記事につい…

リンゴ箱で作る子供机 『暮しの手帖』1950年

新学期になって、子供に机を買ってやりたいと思った筆者。しかし、買えば子供の机といっても大人のものとあまり変わらないし、そのわりに、いいものは少ない。あれこれ考えた末、リンゴ箱を買ってきて工夫することにした。掲載は、昭和25年発行の『暮しの…

『暮しの手帖』童話作品の一覧  

『暮しの手帖』の名物となった連載はいくつもありますが、創刊号からスタートしている童話の連載もそのひとつです。そのなかで、『暮しの手帖』1世紀(創刊号〜100号まで)の作品を中心に、一覧を作ってみました。18号からは、富本一枝と藤城清治による作…

『暮しの手帖』の表紙 創刊号〜第10号まで

『暮しの手帖』の創刊号から第2世紀53号まで、30年間にわたって153冊の表紙を手がけてきたのは花森安治でした。 創刊号から100号まで(1948〜1969年)を『暮しの手帖』1世紀と呼んでいます。1世紀は、43号までが手描きのイラストで、44号からは表紙を写真…

平塚らいてう「ゴマじるこ」の作り方 1949年

昭和24年、平塚らいてうは「陰陽の調和」というエッセイで、『美しい暮しの手帖』第2号に初登場。 らいてうが疎開して生活をしていた地に、家庭料理の第一人者、中江百合が訪ねてきたときに、うれしさにこの日ばかりは、大いに腕によりをかけて、料理で歓…

『暮しの手帖』平塚らいてう初登場 1949年

平塚らいてうが『暮しの手帖』に初めて登場したのは、第2号に掲載された「陰陽の調和」というエッセイ。朝ドラ「あさが来た」に女子大生として登場した平塚らいてうは、25歳のときに『青鞜』を創刊。らいてうが書いた『青鞜』発刊の辞「元始女性は太陽で…

『暮しの手帖』の花森安治と平塚らいてう

第二号表紙 イラストは花森安治 日本の暮しをかえた編集者 1948年(昭和23年)、まだあちこちに焼け跡がめだつ銀座の町で『美しい暮しの手帖』が創刊された。名物編集者であった花森安治は、1911年(明治44年)10月25日、神戸市西部(須磨)の平田町生まれ。…

平塚らいてう(平塚明)と「あさが来た」

ブログのきっかけ 昭和の「暮しの手帖」についてのブログを始めたのは、創刊号から70年代まで保管されていた雑誌を、知り合いの方から譲ってもらったのがきっかけです。特に表紙が素晴らしく、紙質や印刷にも味があり、たいへん手のかかったアート作品に思…

「暮しの手帖」創刊号 最初の記事は 1948年

可愛いい小もの入れ 昭和23年(1948年)9月に創刊された『美しい暮しの手帖』のトップを飾った記事は、「可愛いい小もの入れ」でした。 創刊号の目次には、次のスタッフ名が記されています。 表紙 花森安治 写真 松本政利 林重男 装画 花森安治 草加やす…

暮しの手帖 第一号(創刊号)表紙から 1948年

私の手もとにある創刊号からの「暮しの手帖」は、もともと知人の実家で保管されていたものを譲って頂いたのですが、大橋鎮子さんと同世代の方と思います。本棚に創刊号から70年代までの号が並んで、貴重な昭和のゴジラの漫画本などといっしょに大切に取っ…