2017-01-01から1年間の記事一覧

大掃除に必要なのは、優秀な布(ぞうきん)

雑巾(ぞうきん)は大切なアイテム 大掃除で使う、布きれ・・・それは、雑巾(ぞうきん)、クロス、ウエスなどと呼ばれてます。 ①「雑巾」は、使い古しのタオルなどを手縫いで再利用したもの②「クロス」は、洗車用などに多い合成繊維(マイクロファイバー)…

「台所のふきん」こぼれ話  暮しの手帖より

もっとも読者からの反響があった記事 日東紡と暮しの手帖社が共同開発した、拭きやすく、ケバが付かず、早く乾くふきん。昭和から今に至る、ロングセラー商品です。このふきんを開発するための、テスト記事が『暮しの手帖』に掲載されたのは、昭和35年の第…

続・台所の「ふきん」をあなどるなかれ 1960年

昭和35年、日東紡と暮しの手帖社の共同研究によって、2年がかりで作り上げられた新しいふきん。丈夫さ、吸水性、使いやすさ、あらゆる角度からテストを重ねたふきんです。それでも・・・生乾きで使い続けたら、やっぱりふきんは臭くなってしまいます。『…

台所の「ふきん」をあなどるなかれ 1960年

ある日突然に・・・ 昭和の頃、我が家でもこの「日東紡のふきん」を使っていました。ふきんのヘリの 赤・みどり・黄 の3色を記憶しています。 でも、いつからか使わなくなって忘れていました。新しい製品とか、安いマイクロファイバー製を使い捨てるとか、…

「ぬいとりの花」刺しゅうの図案 1951年

昭和26年6月、第12号。まだ、雑誌のタイトルが『美しい暮しの手帖』だった頃、唯一のカラーページは、4ページの刺しゅうだけでした。ひかえめに、「ぬいとりの花 武井孝子」と見出しがあるほかには、何も文章はなくて、刺しゅうの写真だけです。 私は…

新潟地震とバス団地 『暮しの手帖』1964年

東京オリンピックの4ヶ月前に M7.5 日本は、世界の陸地面積の0.25%の小さな国ですが、世界のM6以上の地震の2割が発生しています。東京オリンピックのようなイベント前でも、大地震は起きる時には起きる、世界でも地震リスクの高い都市の一つです。…

料理店にまけないカレーライス:千葉千代吉 1952年

志賀直哉も作ったカレーライス 昭和27年の初夏。第16号の「料理店にまけないカレーライス」です。大橋鎭子三姉妹もカレーが大好きで、大橋家のカレーはこのレシピをもとにしていたとか。小説家の志賀直哉がこの記事を見て自分で作り、「書いてある通り作…

「暮しの手帖」とわたし:表紙イラスト 1958年

『暮しの手帖とわたし』は、とと姉ちゃんのモデルになった大橋鎮子さんが、名編集者・花森安治さんとともに『暮しの手帖』を作り続けたあれこれを、90歳になってから書いた自伝です。帯のコピーは「暮しの手帖社社長、モデル、編集者、いつだって体当たり …

「西洋料理入門」の連載がスタート 1949年

第3号 千葉千代吉さん 『暮しの手帖』に西洋料理は、たいへんに早い時期に登場します。昭和24年春の第3号から、千葉千代吉さんの「西洋料理入門」が連載としてスタートします。「とと姉ちゃん」のモデルとなった、花森安治、大橋鎮子さんらが『暮しの手…

暮しの手帖 中川一政「えのぐ」1957年

『暮しの手帖』に掲載されたエッセイには、このまま埋もれてしまうのは、もったいないと思うものが多いです。第38号(1957年)に掲載された、中川一政のエッセイ「えのぐ」。処女作となった「酒倉」が描かれたエピソードとして、貴重なエッセイです。 …

『暮しの手帖』の表紙 第31号〜第40号  35号表紙は「とと姉ちゃん」で登場

「暮しの手帖に、商品の写真や記事をのせるには、いくら出せばいいか?」 30号まで雑誌を作ったときに、花森安治は初めて聞かれたといいます。創刊から8年、発行部数は50万部に近く、それだけ記事が読まれ、商品の売れ行きを左右する雑誌になっていまし…

「広告について」花森安治の語ること 1955年

創刊から8年目に 「暮しの手帖に、商品の写真や記事をのせるには、いくらぐらい出せばいいか?」 30号まで雑誌を作ったときに、花森安治は初めてそう聞かれたといいます。創刊から8年、それだけ記事が読まれ、商品の売れ行きを左右する雑誌になっていま…