『暮しの手帖』が創刊されたのは、戦後3年目の1948年(昭和23年)。
戦災による住宅焼失と復員や引揚げによる人口増加で、住宅不足が続いていました。
現在のような「片付けられないほど物があふれる」など夢のようなことで、家や部屋すらが、そもそもないほうが切実でした。

11号表紙より
「みかん箱から」
そんな昭和26年第11号に掲載された「みかん箱から」という記事。
筆者は、北海道、帯広の小学校の先生。
当時のみかん箱は、ダンボールでなく、りんご箱と同じような木箱。
子どもたちの大半は、宿題には飯台を持ち出すか、板の間に寝そべって字を書いている。たえず弟や妹に襲撃されて、年に2、3回手にする雑誌やまんが本も、学校に行っているあいだにボロボロになって、ストーブの焚き付けになってしまう。
自分の所有物といえば、ランドセルの中身と、物置にあるエッジの丸くなったスキーかスケートだけ。
自分だけの所有になる空間を持っていない子どもに、所有欲をみたしてやり、物を大事にすることと、暮しを美しくする意欲を育てるために、先生の取った作戦とは・・・?

みかん箱、包み紙と新聞紙
「冬休み中に、おかあさんからみかん箱を一つか二ついただいて、三学期に持っていらっしゃい。いいものをつくるんですから。」
材料は、みかん箱と、買い物をした時の包み紙、新聞紙、婦人雑誌か子ども雑誌の色刷りの紙。
みかん箱に新聞紙で下張りをして、包み紙で表面も箱の中もはります。
「先生、これで私の名前を切り抜いてはってもいいですか?」
「ローマ字にしてもいいいですか?」
「ほんばこって、切り抜いてもいいですか?」
子どもたちは興味がわいたと見えて、次から次へと工夫していき、やがて68個のみかん箱が、教室のすみに高く積み上げられました。
おもちゃ箱、本棚、机、用具箱・・・
「これをお家に持って帰って、どんなことに使ったらいいのか考えてみることにしましょう」
子どもたちは次々に思いつきを出します。
「玩具箱にします。」
「成績品をしまっておくの。」
「本箱にするよ。」
「僕、二つ作ったから、この上に板を渡して机にするの。だって机がないんだもの。」
「写生のとき、お道具を入れて持っていくの。書くときには腰掛けにしたらいいよ」
「スキー靴をこのなかに入れておくと、つぶれないでいいです。」
子どもたちは、はじめて出来た自分の所有になる家具に、おさえきれぬ喜びを持っていました。
大きな(みかん箱の)積み木細工で、夢中になって遊び、またこの箱を部屋に見たてて、手製の家具を配置して、美しい住みよい部屋の設計をしました。
そして、それぞれの利用法に胸をふくらませて、家へ持って帰りました。
その後、家庭訪問をした時には、いろいろに利用されて、子どもの所有物として家の一角を占有しているのでした。
それが、学校で作った時よりも、数がふえているのでした。
(帯広市 筆者は教員)
