読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

昭和の「暮しの手帖」から

創刊号〜70年代「暮しの手帖」バックナンバーから。珠玉の記事をピックアップ

「暮しの手帖」とわたし:表紙イラストがおもしろい

AFTER-NOON at KURASHI no TECHO

『暮しの手帖とわたし』といえば、とと姉ちゃんのモデルになった大橋鎮子さんが、昭和の名編集者、花森安治さんとともに『暮しの手帖』を作り続けたあれこれを、90歳になって書いた自伝です。

本の帯には「暮しの手帖社社長、モデル、編集者、いつだって体当たり 波瀾万丈のしずこさん」と書かれています。

この本の表紙となっている、花森安治さんのイラストがよく見ると「へ〜、そうだったんだ」という発見のある面白さでした。




イラストは「AFTER-NOON at KURASHI no TECHO 」というタイトルで、Y.hana 1958 というサインがあります。

1958年当時の、暮しの手帖編集部の一コマを描いたものでしょう。


f:id:Merimaa88:20170324225556j:plain


ソファで昼寝中なのは花森編集長。

「暑いと食欲減退するとはどこの国?」「一人前半はたいらげます」とギョーザやカレーをパクついている食欲旺盛な部員。

なぜか、靴を片方なくしてしまったカメラマン。

ジッポーらしきアメ横で購入したライターで一服の部員、花森さんの傍にも灰皿、昭和は喫煙者の多い時代ではありました。

シカゴにいる鎮子さんに手紙をタイプライターで、パタパタ、チーン!と打っている姿もあります。(この音、懐かしいなあ)

机のうえには、アメリカの雑誌、ペアレンツとグッドハウスキーピング。


f:id:Merimaa88:20170324230208j:plain

手紙でつづるアメリカ視察旅行

本の装丁に使われているイラストと手紙は、アメリカ滞在中の大橋鎮子さんに宛てて、花森さんが送ったものです。

ちょうどこの時期、1958年(昭和33年)の4月に、アメリカ大使館から暮しの手帖社に電話がありました。
「日本のマスコミ、ことに雑誌で活躍されている方をお招きして、その目でアメリカをごらんいただきたい、その候補の一人に大橋さんが入っています。期間は二ヶ月間、参加いただけますか?」

花森さんは「ぜひ行って、存分に見てきなさい。編集に役立つことが必ずある」と参加を伝え、鎮子さんはアメリカ視察旅行へ、羽田から出発。

そのとき招待されたのは、「週間朝日」「文芸春秋」「旅」「暮しの手帖」の各社から。
当時は、まだ誰もが観光目的での海外への自由渡航はできない時代でした。
(新幹線も走っていません。)


f:id:Merimaa88:20170324230556j:plain

ニューヨークでペアレンツ賞を受賞

表紙の見返しには、花森さんからアメリカの鎮子さんへの手紙。

羽田からアラスカ、シアトル−ワシントンDC、ボストン。
ニューヨークでは、「ペアレンツ・マガジン」からメダルを授与されました。

シカゴで、鎮子さんは疲れから寝込んでしまい、花森さんの手紙にも「お体の方はどんな具合ですか」と書かれています。

女性でパブリシャー(編集者)でプレジデント(社長)が、日本でもいることは、「貴方を招待したことは国務省のヒットだ」とアメリカ人に驚きを与え、そういった注目への気苦労やプレッシャーもあったでしょう。

鉄道模型好きな花森さんらしく、「ロサンゼルス近くのディズニーランドに寄れたら、サンタフェ鉄道の模型が走っている筈ですから、カラーで撮ってきてください」とも。

グッドハウスキーピング社などの雑誌社を見学、サンフランシスコ、ロスーハワイ経由でパンアメリカンで帰国。

「暮しの手帖」ロングセラーのふきんも、アメリカ旅行から生み出されたものです。

 
f:id:Merimaa88:20170325215410j:plain
本の裏表紙にも、イラストの続き。

手紙にサプライズという感じで、イラストが添えられていて、セリフは、編集部員の直筆の「寄せ書き」になっているのでは? とおもいます。


「暮しの手帖とわたし」に、鎮子さんが花森さんや会社に宛てた当時の手紙から、アメリカ旅行の報告が掲載されています。


「暮しの手帖」とわたし

「暮しの手帖」とわたし

  • 作者: 大橋鎭子,花森安治
  • 出版社/メーカー: 暮しの手帖社
  • 発売日: 2010/05/15
  • メディア: 単行本
 


merimaa88.hatenablog.com