焼あとのレンガで作った煖炉
「とと姉ちゃん」第90話では、終戦後の焼け跡に、間に合わせに建てられたバラックで何とか暮らす人たちを立ち退かせる事業に背を向けて、常子の雑誌作りに応じる花山の姿がありました。
この場面で花山が拾い上げて手にしたのが、フライパン。
バラック街に捨てられていた、形のひしゃげたフライパンです。
このシーンで思い出したのが、『暮しの手帖』第2号(昭和24年元旦)に掲載されていた「焼跡の煉瓦(レンガ)で作った炉端」。
雑誌のトップページに掲載された写真ですが、花森安治にとっても印象深いものだったのでしょう、創刊100号「なんにもなかったあの頃」や「一銭五厘の旗」にも再掲載しています。
西洋風の炉ばた。
上の棚にはランプ、五徳の上にはコーヒー湧かしのポット、たてかけたフライパン・・・
しかし、これは鉄道ガード下の倉庫の二階の風景です。
「焼けトタンと瓦を底に敷いて、壁ぎわに炉を切った。壁には焼跡でひろってきたレンガを積んで、ちょっと西洋風の感じを出してみた。冬の夜、ここで読書していると、頭上の省線(鉄道)も楽しい伴奏に思われてくる」(『暮しの手帖』第2号)
この炉ばたを作った人の話です。
焼跡のレンガを積みかさねて、石膏で目地を塗りかためて、マントルピース風の炉端を作ってしまう・・・
「昨今、しきりに我ら日本人とはなにか、その意味を問うことが流行している。あのきびしかった二十三年の年の暮れ、ガード下倉庫の二階の一隅に、それも焼け跡でひろってきた材料ばかりで、このような〈室内装飾〉を演出する日本人とは、一体なんだろうか」と、花森安治は100号に書いています。
こちらは、昭和24年暮れの第6号の表紙ですが、上の写真への感慨から花森安治はイラストを描いたのかもしれません。
フライパンの存在感
一度手に入れれば、手入れさえしっかりすれば50年ぐらいはもつという鉄製のフライパンは、現在でも人気商品。
西部開拓時代のなべ(ダッチオーブン)、湯沸かしポッドなど、その存在感と〈かたち〉は、日常の暮しにとって普遍的なもの。
ムーミン谷の冬
トーベ・ヤンソンのムーミンシリーズは、主に海辺での生活が描かれています。
日本でのムーミンはアニメのイメージが強いため、もっと後の時代の作品のように思いますが、実は「たのしいムーミン一家」と「暮しの手帖」の創刊は同じ頃(昭和23年)というのは、ちょっと驚きます。
上のイラストでも、フライパン、両手ナベ、カメのような容器、ストーブなど、普遍的な暮しの符号のように登場します。
★硬派に花森安治伝を読みたい方に