家と花と樹木
花森安治がイラストと題字を手がけた『暮しの手帖』の表紙。
人気のある表紙がいくつかありますが、昭和29年3月の第23号もそのひとつでしょう。
赤い屋根がアクセントになった家を中心に、赤と黄色の花畑、うしろは樹木にかこまれて、地面は大地の茶色。
アスファルトも、看板もここにはありません。
この表紙を見たときに、ふとトーベ・ヤンソンの『小さなトロールと大きな洪水』のイラストを思い出しました。
数年前に「トーベ・ヤンソン生誕100周年」の展覧会が日本各地でも開催されましたが、トーベ・ヤンソンは1914年生まれ。花森安治が1911年生まれなので、ほぼ同時代に活躍したといえます。
日本でのムーミンはアニメのイメージが強いために、もっと後の時代の作品のように思いますが、トーベ・ヤンソンの『たのしいムーミン一家』と『暮しの手帖』の創刊が同じ時期(昭和23年)というのは、ちょっと驚きます。
さらに、この表紙の頃には、すでにムーミン・コミックスが登場し、第5作目になる『ムーミン谷の夏まつり』が出版されています。
1945 『小さなトロールと大きな洪水』
1946 『ムーミン谷の彗星』
1948 『たのしいムーミン一家』『美しい暮しの手帖』創刊
1950 『ムーミンパパの思い出』
1954 『ムーミン谷の夏まつり』
戦争が描かせた初期のムーミン
実は、初期のムーミンシリーズ2作は、戦争がトーベ・ヤンソンに描かせた物語です。
「悲しく、爆弾におびえていた時の気持ちから抜け出したかったのです。ハム(トーベの母)が私におとぎ話をしてくれた日々に戻りたい、そんな感じの、ある種の現実逃避でした。」(トーベ・ヤンソン)
『小さなトロールと大きな洪水』には、住処を失ったものが浜辺でたき火を囲んで暖を取り、食事を作っている場面や、『ムームン谷の彗星』には大勢の避難民に遭遇する場面があり、物語には原爆が投下された影響もうかがえるといいます。
『小さなトロールと大きな洪水』の物語はハッピー・エンドとなり、太陽の日を浴び、鳥の舞う谷を見つけます。
「一日じゅう、みんなはあちこち歩きまわりました。そうしているうちに、とてもすてきなところにやってきました。雨あがりで、いたるところに目をみはるほどきれいな花が咲き、どの木も花と実でおおわれています。ちょっと木をゆするだけで、実がおちてくるのです。」
「さいごに、みんなは小さな谷にやってきました。この日見たどんなところよりも美しい谷です。その草地のまんなかに、タイルばりのストーブにそっくりの家がたっています。とてもすてきな青いペンキぬりの家です。」
『小さなトロールと大きな洪水』
『暮しの手帖』23号
ふたつの絵を並べてみると、北欧のフィンランドでも日本でも、「暮らし」について、願うところは同じなのではないかと思うようなイラストではあります。