新潟地震とバス団地 『暮しの手帖』1964年

東京オリンピック4ヶ月前に M7.5

日本は、世界の陸地面積の0.25%の小さな国ですが、世界のM6以上の地震の2割が発生しています。

東京オリンピックのようなイベントがあろうと、大地震は起きる時には起きてしまう、世界でもっとも地震リスクの高い都市の一つと言えます。

1964年(昭和39年)6月16日、午後1時1分。

新潟県の粟島南方沖40kmを震源とするM7.5の地震が発生。震源に近い地域は震度6の烈震に襲われました。

東京オリンピックの開催4ヶ月前のことです。




新潟地震 石油タンクが2週間炎上

毎日新聞の災害アーカイブによれば、

新潟市の臨海部にあった昭和石油新潟製油所では、破損した大型タンクから漏れ出した石油に引火し、大規模なコンビナート火災が発生した。周辺の家屋数百棟を巻き込んだ炎は、約2週間にわたって燃え続けた。 

同製油所では、当時まだ言葉すらなかった「液状化現象」も起きた。大型石油タンク5基が沈下して破損し、同時に液面が揺れる「スロッシング現象」で石油が漏れて炎上。タンク149基が焼損した。

さらに、製油所内に設置していた外部への流出を防ぐ防油堤も地震により損壊。周辺の民家にも火災が広がる一因となり、多くの市民が避難を余儀なくされた。

また液状化現象で市内の県営アパートが倒壊。

信濃川に架かる昭和大橋が、川底の地盤沈下によって落橋する被害も出た。


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地震発生から3日目 燃え続ける石油タンク=1964年6月16日 毎日新聞 

仙台管区気象台は、日本海沿岸と陸奥湾に津波注意報を発令。

新潟県沿岸の津波高は4mに達し、信濃川をさかのぼり一部で氾濫して、市内を水浸しにした。

この地震では、顕著な液状化現象がみられ、鉄筋コンクリートの基礎杭や耐震性の不備が露呈。鉄筋コンクリートの県営住宅が積み木のように倒壊した。


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当時の新潟では、6月10日まで新潟国体が開催されていて、オリンピックの前夜祭として盛り上がっていた。 

国体に合わせて造られた昭和大橋は、完成の5日目にして崩壊。しかし、信濃川にかかった橋で崩壊したのは、出来たばかりの昭和大橋で、最も古く新潟を代表する美しい橋、万代橋はほとんど無傷だった。

「新潟市内に入り、そこで見たのは、昭和石油のタンクから上がる煙で真っ黒になった空、液状化と信濃川の津波遡上のためかそこいらじゅう水浸しでした。」(防災システム研究所)

新潟地震での広告

『暮しの手帖』第75号。

「お茶でも入れて」というエッセイで、花森安治はこの石油タンクの炎上について書いています。

以下は、その部分の抜粋です。


・・・驚天動地あわてふためいているときは、だれでも気どりきれずに、つい本性が出てしまうものらしい。こんどの新潟地震のあとで、昭和石油の出した広告は、そのひとつの例である。

「このたび不測の天災に際し、当社新潟製油所が被災いたしまして」

まるで自分のところだけが被災したみたいで、これは「新潟製油所も」というべきだろうが、それはまあよいとしよう。

つづいて「多大の損害を受けましたが、政府初め皆様方からご鄭重な御見舞と御同情」云々とあって、そのあとにやっと「また被害を受けられた・・・近隣の市民の皆様に対しましては、心からお見舞いを申し上げるものであります」

これは、どう考えても、おかしい。

昭和石油のタンクが、つぎつぎに燃えて、そのために近所の民家が三百何十世帯も焼け出されているのである。広告を出すなら、まっさきに、その人たちに「おわび」するのが、順序というものである。

なるほど、タンクが燃えたのは、地震が原因である。しかし、近所の民家は、地震では、燃えなかった、どの家も火元に気をつけて火事を出していない。

法律がどうであろうと、昭和石油の首脳部に、ひとかけらの人間らしい気持ちがあれば、その民家のひとたちに、すみませんでしたと、まずいわずにはおれない筈である。

「政府をはじめ」などと、ついそちらにばかり気をとられて、かんじんの類焼させたほうには、「被害を受けられた」などと、ひと言のような言い方をしてしまう、一見ささいなことのようだが、いまの日本の、商売人の本性をみせられたような気がするのである。

(第75号 お茶でも入れて 1964年7月)


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バス団地

さらに、新潟地震から半年後の『暮しの手帖』77号には、「バス団地」という記事があります。

「バス団地 といっても、なにももの好きで、バスのなかで暮しているわけではない、大きな災害はいつでも、ひとの暮しを一瞬にかえてしまう。人災にしろ、天災にしろ、この六月の新潟地震も、大ぜいの人たちの、つつましいおだやかな暮しを数秒間でたたきこわしてしまった。・・・」


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タンクから流れ出した重油につかった家もあり、新潟交通で働いている人たちは、とりあえず古いバスを運んできて住むところを作った。


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運転席がプロパン置場、網ダナは小物、洋服かけ。座席をはずして板を渡し、うすべりを敷いて座敷にした。

寒くなって、一つだけありがたいのは、(バスの)窓や戸の建てつけがいいこと。


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水は井戸を堀り、井戸端には、前の家にあった風呂をもってきて、周りをよしずで囲って入る。 

被災地にトレーラーハウスという発想

バス団地は、被災者の仮住まいに「トレーラーハウス、キャンピングカーを」という、タレントの清水国明さんらの提案に通じるものでしょう。

「仮設住宅」は建設までに時間がかかる、

そのため、被災者の避難所(体育館など)での生活も長期化する、

また、建てるにも、取り壊すにも費用がかかり、時間とお金の無駄が多すぎる、

という考え方によるものです。 


現代のトレーラーハウスは、冷暖房完備で、厚い断熱材を使い、窓は二重ガラス。

仮設住宅のように、冬場の寒さにふるえたり、湿気や風雨の吹き込みに悩まされたりせず、隣家への音の気がねもお互いに少なく、居住性は仮設住宅よりはるかに快適そうです。トレーラーハウスはペットと一緒の生活も可能です。

また、トレーラーハウスなら場所の移動も簡単にできます。液状化したり、汚染された地域に留まるリスクからも回避されるでしょう。

仮設を建てる土地の確保も困難な都市部などにも適した方法です。

東日本大震災、熊本地震、鳥取地震・・・、日本は、世界のM6以上の地震の2割が発生している地震国です。

トレーラーハウスを全国に配備しておいて、被災地に送り込んでいくのは合理的な方法に思えます。