昭和の「暮しの手帖」から

創刊号〜70年代「暮しの手帖」バックナンバーから。珠玉の記事をピックアップ

花森安治のエッセイから 東京オリンピック・1964年 その2

『暮しの手帖』に掲載された、花森安治のふたつのエッセイから、当時の東京オリンピック事情が伝わってきます。

その2では、オリンピック聖火リレーをテレビで見た後に書かれた、「ネジのゆるんだオリンピック」。1964年第76号(秋)「お茶でもいれて」に収録されています。


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第76号 オリンピック開催の直前号

東京オリンピックの聖火リレー

東京オリンピックの聖火は、ギリシアのオリンピアにあるヘラ神殿跡で採火されて、聖火リレーによりアテネへ。

そこから、聖火空輸特別機 ”シティ・オブ・トウキョウ” 号(日本航空/DC-6B)による空の便で、中近東、アジア諸国の11ヶ国をめぐり、沖縄に到着しました。
当時、沖縄はアメリカによる占領下にありましたが、国内聖火リレーは沖縄から開始されます。 

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9月9日、沖縄を出発した "聖火号" (全日航のYS-11) は、鹿児島に飛んで分火を行い、さらに宮崎を経由して北海道の千歳に向かいました。この鹿児島、宮崎、千歳が聖火リレーの3起点となっています。

それでは、花森さんのエッセイです。

ネジのゆるんだオリンピック


その朝は、聖火が本土にはじめて着くところを中継放送する、というので、出かけるのをずらせて、立ったまま、テレビを見た。

いったい、こういう種類の番組は、見たいタチである。なんとかの開通式とか開会式というと、万障くり合わせて、テレビの前に座る。もっとも、こういうのはたいてい昼間やる。だから、たまたま日曜の休みかなにかでないと見られない。
・・・(中略) 


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野球だけでなく、オリンピックでも、なんでも、このごろ入場式には、選手の前に、学校とかチームの名前を書いたプラカードが進んでいく。それを持っているのは、たいてい若い女子高校生だ。

この人たちは、すっかり緊張して、怒ったような顔をして、プラカードを見事にまっすぐにたてて進んでゆく。とりわけ美しいと思う。

このごろは、若い人でも、緊張した顔には、めったに出会わない。そういう機会が少ないせいもあるが、機会があっても、緊張しないような感じがする。

早い話が、高校野球の入場式で、選手の中には、なんだか、ネジがよくしまっていないような歩き方をするのがあって、こういうときは、じつにガッカリする。そこへゆくと、その先頭をすすんでゆく女の子が、よけい光ってくる。

女の人も、へんにでれでれしてるより、こういうときに、緊張しきって怒ったような顔をしているときのほうが、いちばん美しいとおもう。

戦争中に、黒沢明が作った「いちばん美しく」という映画があった。

・・・女子工員の鼓笛隊が、白いブラウスに紺のモンペ、それに鉢巻きをしめて、早朝のモヤのかかっている町を行進してゆく場面はよかった。女の子たちの、すごく緊張して、怒ったような美しい表情を、あんなに見事に描いたものは、そのあともない。(ネジのゆるんだオリンピック・第76号)

始った聖火リレー

エッセイには、「緊張して、怒ったような顔をしている女の人が美しい」と何度も出てくるので、これは花森安治さんの好みのタイプ?・・とも思うんですが、読み進んでいくと、これは、後半の「うじゃじゃけすぎたもの」との、くっきりとした対比になっていくのですね。


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1964年9月9日 
沖縄から聖火が鹿児島に到着、聖火リレーが始った。
後方には空輸にあたった全日空の「聖火号・YS-11」が見える。
撮影=鹿児島空港(鴨池) 

おそらく花森さんはテレビでこの場面を見たのでしょう。

さらに、エッセイは続きます・・・


そんなわけで、聖火が本土に到着したその中継放送は、ことに第一走者が、女の子だというので、そういう美しさを待つ気持ちで、テレビを見ていた。

鹿児島県知事が、点火されたトーチを、第一走者にわたした。高橋律子さんといった。

高橋さんは、そのトーチを掲げて、宣誓をした。
終ると、高橋サンは、駆け足で、伴奏者が二列にならんでいる、その先頭の位置にもどった。位置についた瞬間、すこしの狂いもなく、その列全体が、ピタリと左に向きをかえた。高橋さんが、トーチを高く、まっすぐにかかげた。走り出すのである。

こういう式の、いちばんの魅力は、たとえば、この瞬間である。

このまま走るのではいけない、とおもった。それまでは、なんの号令も合図もなしに、進行していた。そのほうがずっとよかった。しかし、この瞬間は、きっかけがいる。ブラスバンドのラッパか、鼓笛隊の太鼓連打か、ピストルか、かけ声か、どうするだろうと思った。

ブラスバンドだった。高橋さんのトーチの白い煙が横に流れた。走り出した。そして、なにもかも、ブチこわしになってしまった。よっぽど、ブラウン管をたたきわってやろうかとおもったほどである。

楽隊が演奏しはじめたその曲は、軍艦マーチだったのだ。

なんでこんなときに、軍艦マーチをやらねばならないのか。マーチとしてはじつにいい曲である。しかし、ぼくらあれをきくと、戦争中の「大本営発表」という声がかぶさってくる。そんなことは、いまの世代には通用しないから、どうでもいいだろうが、それにしても、あれは海のマーチだ。これから土の上を東京までひた走りに走る。その出発に、どうして、海のマーチをやるんだ。


いったい、こういった式の演出では、いつも音楽の使い方が下手で、見ていて歯がゆくなるのだが、ことに、これはトンチンカンすぎる。

・・・(中略)

そこへもってきて、こんどのオリンピックには、まるで音楽がない。
そういったら、五輪音頭というのを教えてくれたので、きいてみた。これではまるで盆おどりかお花見だと思った。(第76号より)



感性への無理解のなかで

エッセイを読んで、私なんかも相当にネジのゆるんだ部類なので、整然と、一糸乱れぬ動きなどは本当に苦手で、こういった感覚は昔話だろうと、始めは思ったのです。 

ところが、何度も読み返すうちに、ジワジワとこういった端正な、凛々しい美しさにひかれていくんですね。

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Victoire de Samothrace

サモトラケのニケ像とか、辻邦夫の「背教者ユリアヌス」を思い出したりする。
それから、虫明亜呂無のスポーツ・エッセイ集『時さえ忘れて』。

”感性"に対する無理解について、"感性"への無視について書かれた一篇です。

「日本の教育では、これまで、感性が、まったく無視されてきた。・・・ひとことでいえば、料理とか、音楽とか、絵画や、服飾や、スポーツなどのように、肉体によって快さや、美しさや、愉しさなどを感じるものの存在は、社会で、まったく無視されていた。」

「僕は、恋愛や、音楽や、絵画を愉しむのとおなじように、小説や、演劇や、映画を愛好するのとおなじように、スポーツを愛好している。スポーツのなかに、絵画や、音楽をなりたたせているものとおなじものを発見するのである。」(虫明亜呂無『時さえ忘れて』)

『暮しの手帖』も、”感性への無理解” がテーマとなっていた雑誌だったのかもしれない、と思ったりします。

ウジャジャケすぎている

「どうも、こんどのオリンピックは、この聖火リレーをはじめとして、ウジャジャケすぎている。」という花森安治のエッセイは、次のようの結ばれています。 

オリンピックは、ショウかもしれないが、ストリップショウや歌謡ショウとはちがう。
せめて、こんなときぐらい、人間の緊張した美しさ、フェアプレイという壮烈な美しさ、そういう空気ができ上らなければ、なんの意味もなく、バカなゼニを使って、どうしようというのだろう。

そうかとおもうと、ある広告会社が、「国威宣揚のなによりの機会」だから名刺広告を出せといってきた。

まったく、うじゃじゃけるのも、いい加減にしてほしい。

(ネジのゆるんだオリンピック・第76号)


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