昭和の「暮しの手帖」から

創刊号〜70年代「暮しの手帖」バックナンバーから。珠玉の記事をピックアップ

花森安治のエッセイ 東京オリンピック・1964年 その1

『暮しの手帖』に掲載された、花森安治のふたつのエッセイから、当時のオリンピック事情が伝わってきます。

オリンピック前年の1963年、第71号(秋)に掲載された「お茶でもいれて」。

オリンピック聖火リレーをテレビで見た後に書かれた、1964年第76号(秋)、同じく「お茶でもいれて」に収録されている「ネジのゆるんだオリンピック」。
 
その1では、1963年のエッセイを紹介していきます。

スポーツ精神( Sporting Spirit )について語りつつ、東京オリンピック1年前の街の様子も分かり、比べてみると、現在も似たようなものですね。




お茶でも入れて・第71号

エッセイの冒頭は、次のように始まっています。


スポーツ精神、というのは、いったいなんだろう。
第一に、ルールを守ること。
第二に、全力をつくすこと。
第三に、フェアであること。

まだまだあるだろう。

しかし、これだけならべてみても、なにか、ぼくたちのいま住んでいる世の中からみると、どこかとおい国のことみたいな気がする。

(中略)

オリンピックムードが、盛り上がらないといって、関係者がなげいているという話である。あたりまえである。こんなことでもり上がって、カッカするほど、ぼくらはおめでたくない。

オリンピックとは、スポーツの催しである。どんなに規模が大きくても、花々しくても、そこに一貫して流れるものは、きびしく、明るく、清潔なスポーツ精神でなければならない。

それが、どこにあるか。

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まるで、関係者からして、オリンピックを、見世物、ショウとでも考えてソワソワしているみたいである。

ムードをもり上げようというので、オリンピック・デーなるものを作って、目抜き通りを楽隊を行進させたり、絵はがきを作ってばらまいたり、まるでサーカスの町ぶれみたいなことをやっている。

五輪マークの尊厳を守らねばならぬと力んで、勝手につけた看板は下させるが、協賛基金募集などと気のきいた題目で、しかるべくテラ銭を奉納するデパートなどの袋には、やたらとマークをつけさせていた。

いまや東京のまわりは、てんやわんや、昼夜兼行のドタバタ騒ぎである。たった半月かそこらのオリンピックである。やってくる外人に話しかけられたとき、返事ができないと恥かしい、というので、やたらに英会話が流行している。 


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五輪一色の東京・銀座 1964年10月(毎日新聞)

・・・やがて、オリンピックは終る。

戦いすんで、日が暮れて、ぼくたちにいったい、なにが残るのだろう。

すさまじい紙クズと、なにがしの道路と、ひとにぎりの建物と…しかし、ぼくたちの心のなかにいったいなにが残るというのだろう。・・・・
(お茶でも入れて・第71号より)

史上まれな選挙違反に

1964年、東京オリンピックの東京都知事は東龍太郎氏でした。

オリンピック前年3月の都知事選挙では、自民党の東候補が再選。しかし、この選挙では、東候補の選挙ポスターに証紙のニセ物が貼られていることがわかり、また買収、戸別訪問、脱法文書の配布なども摘発され、この影響は、都庁関係者までに及び、異例の選挙違反事件となっていったのです。


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「戦後都議会の変容と東京都の自民党」によれば、

「多くの現職の職員が、出頭や逮捕、あるいは事情聴取などを求められたことに加え、元副知事の逮捕にまで発展した。
この意味で、 この選挙は都政史上まれな選挙違反事件、いわゆる〈ニセ証紙事件〉に帰結したのである。」

また、オリンピック翌年には、議会の議長選挙でも買収が明るみに出て、議員の逮捕、都議会の解散にまで発展します。

「東京オリンピックの翌年の’65年3月、都議会議長の交替にともなう議長選挙の際、贈収賄が明るみに出て、選出された議長はもとより、都議会内会派の自民党議員も17人が逮捕されという結末を迎えた。
この結果、東京都内の住民を中心とする都議会の解散を求める世論は、国会における特別法の成立という異例な事態にまで進展して、都議会は'65年6月解散するに至る。」


そして、花森安治のエッセイは、以下のようにしめくくられます。


いま、ぼくたちは、政治でも経済でも学問でも、風俗でも、およそスポーツ精神とかけはなれてしまった世の中に住まわされている。

・・・汚職、違反の泥沼の上に、オリンピック知事が立っているようなことで、いくらムードをもりあげようといったって、むりである。 

ルールを守る精神。 
全力をつくす精神。 
フェアであろうとする精神。 

スポーツ精神というものを、スポーツをはなれて、いまの世の中で、毎日の暮しのなかで、ぼくたち、じっくり考えてみる必要があるような気がする。

それは、ほんとに、とおい、どこかの土地にしかないものだろうか。 

(お茶でも入れて・第71号より)


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