『暮しの手帖』 初期の商品テスト アイロン・電気ガマ・トースター

初期の商品テスト一覧

『暮しの手帖』の柱となった商品テスト。

初めの頃は「日用品のテスト報告・暮しの手帖研究室」というタイトルでした。

第1回めの〈ソックス〉が掲載されたのは、昭和29年の第26号。

それから「日用品のテスト報告」というタイトルは、昭和34年の〈ガステーブル〉まで使われます。

以下が、初期の商品テストの一覧になります。


昭和28年  
20号 日本品と外国品をくらべる
石けん  
石けん 日本品と外国品をくらべる 『暮しの手帖』 1953年 - 昭和の『暮しの手帖』から
           
昭和29年
26号 ソックス 
27号 マッチ  

昭和30年
28号 鉛筆   
29号 電気アイロン    
30号 安全カミソリ  
31号 しょうゆ
32号 電球
33号 印刷してある通りの分量が入っていたか
34号 天ぷら油

昭和31年
35号 お米は正しく配給されているか(電気せんたく機) 
36号 ちぢまないセーター  
37号 ナイロン靴下の真相  

昭和32年
38号 印刷してある通りの分量が入っていたか   
39号 コドモの運動靴 
40号 電池
41号 歯ミガキ  
42号 体温計 

昭和33年
43号 有名商品の量目をテストする 
44号 電気釜 
45号 中性洗剤 (電気冷蔵庫)
46号 新しい接着剤  
47号 電気トースター 

昭和34年
48号 印刷してある通りの分量が入っていたか  
49号 クレヨンとパステル
50号 自動アイロン 
51号 歯ブラシ
52号 ガス・テーブル 


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「電気ガマ」の商品テストが載った第44号

初めての電気製品テストはアイロン

電気製品として初めての商品テストは、昭和30年の「電気アイロン」。

戦後、着物に変わって洋服が全盛になり、ミシンと並んでアイロンは家庭の必需品となり、ほとんどの家庭が、毎日のように使うものになっていました。

テストしたアイロンは、津川、三菱、ナショナル、東芝、千代田、東洋、参考としてアメリカのGE(ゼネラル・エレクトリック)。

ニューフェースの電気ガマ

昭和33年の電気釜の商品テスト。

「ところで、近頃、電気釜という新しいごはんたき道具が現れてきた。去年のはじめ頃からそろそろ売れ出して、いまでは月産何万台という相当なブームだそうである。」

電気ガマといっても、サンヨー、日立、三菱では「自動電気釜」、東芝では「自動式電気釜」、ナショナル、ネオジンは「自動炊飯器」と、メーカーによって呼び名はさまざまでした。

新聞広告では、「スイッチ一つで火加減の苦労もなく」「上手下手なくたきあがります」「ふっくらおいしいご飯がたきあがります」


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第44号 昭和33年(1958)

スイッチを入れただけで、あとはガスやマキのように火を弱めたり強めたり、そばに付いている必要もなく、ふっくらとおいしいご飯が炊けるのなら・・・

ご飯たきが大仕事だった主婦には夢のような話です。

「暮しの手帖研究室」は、サンヨー、東芝、ナショナル、ネオジン、日立、三菱と6種類のメーカー品を買い求め、それぞれ45回 も炊いてみました。

すると、確かに宣伝文句のように「火加減」の苦労はありません。

しかし、電気ガマで「ごくふつう」に炊きあげるまでには、特に間接だき(カマが二重になっている)では「水加減」のコツをつかむまで、かなりの苦労がありました。


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試食テストのためにご飯をたいている

味はとくべつまずくも美味しくもなく、暮しの手帖研究室の意見としては、「あってもよし、なくても一向差し支えない」というものでした。

「電気が必要な電気器具を買うことは、いっしょに電気も買うということ」と、電気料金を指摘しているのも『暮しの手帖』らしいところでしょう。

電気トースターも必需品に

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第44号 昭和33年(1958) トースター

戦後になってパンをトーストして食べるようになり、電気ガマとならんで、台所の必需品となる勢いだった「電気トースター」。

テストしたのはターンオーバー式の、東芝、日立、サンヨー、富士、ナショナルの5社製品。

商品テストの結果として、ズバリとおすすめしません、が1社出ました。
(上記5社の最後に書いてあるメーカーです・・・)

ひと家族が1年簡に食べるパンの枚数を焼き通せるか、という耐久力テストを行い、このメーカーの製品は6台すべてが故障して使えなくなったからでした。

4年後の自動アイロン

昭和34年、50号の「自動アイロンをテストする」は、前回の電気アイロンのテストから4年後に行ったものです。

今回は自動アイロンだけを取り上げて、銘柄はオクサン、ナショナル、三菱、サンヨー、東芝、日立。テストには、暮しの手帖協力グループの主婦10人が参加。

商品テストの結果は「あの点がよければ、この点で感心できないということで、これならとおすすめできるアイロンは、一つもありませんでした。」という取りまとめでした。


昭和30年代前半の電気製品は、まだまだ改良の余地がたくさんあるものでした。




昭和34年(第50号)発行部数は75万部

『暮しの手帖』の発行部数が50万部をこえたのは昭和32年の1月。

翌年、昭和33年暮れには、東京タワーからテレビ放送が開始。

白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫が『三種の神器』と呼ばれた高度経済成長がはじまった頃で、東京オリンピック開催の5年前です。

昭和34年6月、「自動アイロン」の商品テストが掲載された『暮しの手帖』50号では、部数は75万部にのぼり、編集部のスタッフも7人から22人に増えています。




それから、『暮しの手帖』にも、ひとつの変化がありました。

★暮しの手帖のバックナンバーを絶版にさせていただきます。

このようなお知らせが第50号に掲載されました。

創刊号から取りそろえていたバックナンバーは、最新号から1年前までの在庫へと変わりました。

時代の流れが早くなってきたからです。


「これまで、たくさんの方が、暮しの手帖をずっとそろえて、お読みくださっています。ほんとにありがとうございました。こころからお礼申し上げます。しかしながら、私たちの暮しは、ここのところ、非常な早さで変わっています。何年もまえに作ったもののなかには、もうみなさまのお役に立ちかねるものもあるかと存じます。」

「じつをいうと、これまで私たちが仕事を続けられてこられたのは、このバックナンバーのおかげでした。広告のない雑誌ですから、新しく出す号では、正直にいって収支とんとんなのです。

だから、このバックナンバーで食べていたようなものですから、これを絶版にすることは、とてもつらいのですが、考えてみれば、第1号を出したときには、もちろんバックナンバーなど1冊もありませんでした。」

(第50号 あとがきより)


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