昭和の「暮しの手帖」から

創刊号〜70年代「暮しの手帖」バックナンバーから。珠玉の記事をピックアップ

洋裁学校にモノ申す 花森安治 『暮しの手帖』創刊号

NHK の朝ドラ「とと姉ちゃん」のなかで、花山と常子らが直線建ちの講座を開き、当日会場に行ってみると、応募者はたくさんいたはずなのに誰もいない。
実はチケットを洋裁学校が買い占めてしまっていた、という場面があります。

このエピソードのもとになる実話はあって、その時は何も話さなかったようですが、『暮しの手帖』創刊号で、花森さんは洋裁学校にハッキリとモノ申しているように思うのです。




服飾の読本から

『暮しの手帖』創刊号には「直線裁ち」のほかにも、花森安治の「服飾の読本」というファッションについての特集記事があります。 

8ページに23タイトルで、簡単なイラストを付けて短い文章でまとめたもの。


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ちょっと長いですが、タイトルを全部書いてみます。

*流行を取り入れる前に
*日本人に一番いいスカートの長さ
*流行の逆手を取る
*金ピカ趣味を軽ベツする

*野暮ったいデザインは
*コルセットはゼヒつける
*ブローチはボタンのない服に
*服の色は二色か三色に

*パッドは入れた方がいいか
*パッドは下着につけるもの
*太ったひとはゆるめの服を
*女学校の先生の服

*身だしなみに大切な三つのこと
*靴は顔と同じようにみがく
*女ざかりのひとが少女服を着てる
*いちばん美しいボタンは

*きれ地の美しさと着た美しさは違う
*洋裁学校の悪口を言う
*首かざりは肌につけるもの
*おシャレなひとは新調をイヤがる

*何よりも下着を大切にする
*外国雑誌をウノミにするのは危険
*服とバッグのアンサンブルは野暮


このなかの、「服の色は二色か三色に」など、今でも取り入れてみたくなる内容が、けっこうあります。

ドラマと関連する、下から6番目のタイトル「洋裁学校の悪口を言う」を紹介してみます。

洋裁学校の切符の買い占め

『暮しの手帖』の2年前に創刊された『スタイルブック』。

この雑誌で「直線裁ち」はスタートし、当初『スタイルブック』は売れに売れたのですが、似たような雑誌が続々と出て来ると、売れなくなってしまいます。 

雑誌を続ける資金を作るためにも、「花森安治 服飾デザイン講座」を各地で開き、講座は好評だったようです。

しかし、宇都宮会場で開かれた講座のときのこと。

切符の売れ行きもよく、完売していましたが、会場には時間を過ぎても誰も来ないのです。

あとでわかったのは、当時の大きな洋裁学校による切符の買い占めでした。
「洋裁を知らなくても、すてきな服ができる直線裁ち」という内容のためでしょうか。

生涯で一番つらかった日と鎮子さんは回想していますし、花森さんもそのときは何も話さなかったようです。


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「デザインをする」ということ

その時は何も話さなくとも、『暮しの手帖』創刊号で、花森さんは洋裁学校にハッキリとモノ申しているようです。


和服は、デザインということがない。和服を作るときに大切なことは、裁つことと、特に縫うことである。
そのクセが抜けないとみえて、洋服を作るときも、やはり裁つこと、縫うことだけを、大切に考えている傾向がある。これは、ことに地方へ行くほど、強いように思う。

ところが、和服と洋服では、その意味では、まるで違うのである。

洋服は百人着ていたら百人とも、と言っていい程、みな服の形が違うのである。だから洋服の場合は、服形を決めるということが、美しさを決める大きな要素になっている。それは、とりもなおさず、デザインをすることである。

それなのに、いまの日本の洋裁学校を見ていると、裁つこと、縫うことばかりに力を入れて、洋服にとって何より大切な、デザインについては、ほとんど手をつけていない。

習う方も、デザインなどは、つけたしの趣味的なことに考えて、原型だとか、部分縫いだとかに、浮き身をやつしている現状である。

(花森安治「服飾の読本」より)


創刊号の記事のタイトルを「直線裁ちのデザイン」として、〈デザイン〉という語を入れたのも、花森さんのこだわりであり、主張だったのでしょう。
 

そんなことだから、日本の洋裁は、いつまでも、野暮ったく、みみっちいのである。はっきり言えば、名前だけは、それぞれハイカラだが、その内容は「西洋流、お針伝授所」が洋裁学校であり、「西洋服、お仕立ていたします」が洋裁店であり、「お針のお師匠さん」が洋裁学校の先生、それの少し出来のいいのが「デザイナー」である。情けない話ではある。

(花森安治「服飾の読本」より)


やっぱり切符の買い占めは、腹にすえかねていたのだろうと思いますし、本当に講座に参加したかった人もいたでしょうから。

多くの分野で、日本では感覚的なことが後回しになるのは、いまもって通用してしまいそうです。

創刊号には、中原淳一のエッセイ「真の美しさ」も掲載されています。
ファッション・コンクールの審査員となった筆者が、新しいシルエットを感じさせる出品がなく、やたら飾り立てるだけの作品に観客のざわめきが起きる失望を、骨太に書いています。


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