アメリカの流行雑誌から
『暮しの手帳』創刊号のグラビアページには、「ブラジアのパッドの作り方」という記事があります。
「外国の雑誌を見ておりますと、ずいぶんと下着の広告が目につきます。それも大部分はブラジアとコルセットの広告で、いろいろの型や種類の多いのには、うらやましくなってしまいます。・・・つまり、服を着るとき、体の下ごしらえと申しますか、体の線を整えることが、もう常識になっているからでしょう。」
川村冬子という名前で書かれた解説は、こんな書き出しで始まっています。
同じくグラビアの「可愛い小もの入れ」の解説を書いた草加やす子は、花森安治のペンネームといいます。川村冬子も、もしかしたら花森さんのペンネームかもしれません。
VOGUE 1949年8月15日号
当時の外国の雑誌というと「ヴォーグ」「チャーム」「ハーパーズ・バザー」などのアメリカの流行雑誌。
『暮しの手帖』の創刊号には、花森安治の「服飾の読本」というファッションについての特集ページもあります。
そのなかの一つ「外国雑誌をウノミにするのは危険」では、当時のCIE 図書館に行くと、多くの若い洋裁学校の生徒などがアメリカの流行雑誌を広げて、薄い紙にスタイルを写している当時の姿が書かれています。
上に着る服よりも下ごしらえを
この頃の街を歩いている人たちは、ずいぶんあかぬけして来て流行も取り入れているが、体のファンデーションを作る、ということはまだまだという気がします・・・と、「ブラジア」の記事では続いていきます。
「こういうご時世ですから、そこまで手が届かないということもございましょうが、上に着る服はともかく、体の下ごしらえだけはきちんとして頂きたいと思います。それが出来ていないと、どんなにいい服をお召しになっても、一向にパッとしないことになりがちなものですから。」(川村冬子「ブラジア」)
Photo Frances McLaughlin-Gill, Vogue, July 1948
見えないお洒落のできる時代に
「服飾の読本」では、見えないところにお金をかけたり、神経を使ったりする大切さとして、皆がスリップにお洒落をするような時代が来てほしいと思う、というものもあります。
「下着は、外から見えないとつい思いがちだが、なかなかどうして、ちゃんとした下着をつけているのと、そうでないのとでは見ただけで、すぐ分かってしまうものである。」(何よりも下着を大切にする)
パッドは服より下着に入れる
創刊号が出た1948年には、戦後初のファッション・ショーが行われ、洋装への憧れが高まっていましたが、当時のブラジャーにはパッドが入っていなかったようです。
「とと年ちゃん」で常子の母が「乳バンド」と呼んでいたのは、着物文化で使う胸を均等にならすようなバンドで帯的なもの。
戦後の急速に欧米化したファッションでは、パッドが必要でした。
「・・・ぜひブラジアにパッドをお入れになって頂きたいものでございます。パッドは、いまは自分で作るより仕方ありませんが、綿は形もわるく、ぼたぼたするので、針金を使ってみました。なかなか感じがいいし、思ったより手軽に出来てしまいます。」(川村冬子「ブラジア」)
その後、1949年にワコールの前身・和江(わこう)商事から、バストを形良く見せる『ブラパット』が発売されて人気商品になっています。