昭和の「暮しの手帖」から

創刊号〜70年代「暮しの手帖」バックナンバーから。珠玉の記事をピックアップ

リンゴ箱で作る子供机 『暮しの手帖』1950年

新学期になって、子供に机を買ってやりたいと思った筆者。しかし、買えば子供の机といっても大人のものとあまり変わらないし、そのわりに、いいものは少ない。 あれこれ考えた末、リンゴ箱を買ってきて工夫することにした。掲載は、昭和25年発行の『暮しの…

『暮しの手帖』童話作品の一覧  

富本一枝と藤城清治 「ぼくの影絵が、はじめて本にのったのは、暮しの手帖の〈お母さんが読んで聞かせるお話〉としてだった。はじめ、一号二号は、ぼくが、その頃やっていた人形劇の人形の写真だったけれど、三号から、花森さんにすすめられて、影絵をのせる…

『暮しの手帖』の表紙 創刊号〜第10号まで

『暮しの手帖』の創刊号から第2世紀53号まで、30年間にわたって153冊の表紙を手がけてきたのは花森安治でした。 創刊号から100号まで(1948〜1969年)を『暮しの手帖』1世紀と呼んでいます。1世紀は、43号までが手描きのイラストで、…

平塚らいてう「ゴマじるこ」の作り方 1949年

昭和24年、平塚らいてうは「陰陽の調和」というエッセイで、『美しい暮しの手帖』第2号に初登場。 らいてうが疎開して生活をしていた地に、家庭料理の第一人者、中江百合が訪ねてきたときに、うれしさにこの日ばかりは、大いに腕によりをかけて、料理で歓…

『暮しの手帖』平塚らいてう初登場 1949年

平塚らいてうが『暮しの手帖』に初めて登場したのは、第2号に掲載された「陰陽の調和」というエッセイ。朝ドラ「あさが来た」に女子大生として登場した平塚らいてうは、25歳のときに『青鞜』を創刊。らいてうが書いた『青鞜』創刊の辞「元始、女性は太陽…

『暮しの手帖』の花森安治と平塚らいてう

第二号表紙 イラストは花森安治 日本の暮しをかえた編集者 1948年(昭和23年)、まだあちこちに焼け跡がめだつ銀座の町で『美しい暮しの手帖』が創刊された。名物編集者であった花森安治は、1911年(明治44年)10月25日、神戸市西部(須磨)の平田町生まれ。…

平塚らいてう(平塚明)と「あさが来た」

ブログのきっかけ 昭和の「暮しの手帖」についてのブログを始めたのは、創刊号から70年代まで保管されていた雑誌を、知り合いの方から譲ってもらったのがきっかけです。特に表紙が素晴らしく、紙質や印刷にも味があり、たいへん手のかかったアート作品に思…

「暮しの手帖」創刊号 最初の記事は 1948年

可愛いい小もの入れ 昭和23年(1948年)9月に創刊された「美しい暮しの手帖」のトップを飾った記事は、「可愛いい小もの入れ」でした。 大橋さんが考えて中野さんが縫った 創刊号の目次には、次のスタッフ名が記されています。 表紙 花森安治 写真 松本政利 …

暮しの手帖 第一号(創刊号)表紙から 1948年

私の手もとにある創刊号からの「暮しの手帖」は、もともと知人の実家で保管されていたものを譲って頂いたのですが、ご両親は大橋鎮子さんと同世代だと思います。本棚に創刊号から70年代までの号が並んで、貴重な昭和のゴジラの漫画本などといっしょに大切…

台所に椅子をおく リンゴ箱から作る 暮しの手帖 1949年

なんにもなかったあの頃 終戦から3年たった昭和23年は、「暮しの手帖」にとっても身を切られるようにつらい年の暮れだったといいます。秋に出した第一号は一万部刷り、みんなで手わけしてリュックにつめ、毎日東京を中心に湘南、千葉、茨城、群馬と本屋さ…

『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』暮しの手帖 1960年

食べ物エッセイのはしりとして 『暮しの手帖』の編集長、花森安治さんに、 「たべものの随筆を書いてごらん。あなたは食いしん坊だから、きっとおいしそうな文章が書けるよ。」とすすめられて、1960年『暮しの手帖』に連載を始めて、そして一冊の本になった…

37個のリンゴ木箱 暮しの手帖 1949年

最近では本棚や机など、ちょっとした家具として、洋服やタオルなど収納として、「木製のリンゴ箱」が見直されている。スペースに合わせて、組み合わせたり積んだり自由になるし、ささくれをヤスリがけする程度でも、手をかけずにそのまま使ってしまえばいい…

「暮しの手帖」のホットケーキ・レシピ 1950年   

「巴里コロンバン銀座店」のレシピで 焼きたてのホットケーキにバターをのせ、蜜かシロップをかけてたべる楽しさ。朝ごはんや昼の代わりに、手軽に出来て、みんなによろこばれるホットケーキ。昭和25年「暮しの手帖」第7号に紹介されたホットケーキは、な…

「暮しの手帖」のホットケーキ 1950年 その1

暮しの手帖のグラビアページに、はじめて掲載された食べ物の記事。それが、第7号(昭和25年)「誰にでも必ず出来る ホットケーキ」です。「焼きたてのホットケーキにバターをのせ、朝ごはんや昼食の代わりに食べる楽しさ。誰にでもできて、みんなの気持ち…

古い国からの新しい手紙 1955年 暮しの手帖社

「暮しの手帖」の人気連載や掲載記事を一冊にまとめた本の装釘も、編集長の花森さんは数多く手がけています。雑誌の初期、1955年3月に発行された、H.K.ニールセンの「古い国からの新しい手紙」。新聞特派員の著者が、ヨーロッパの小さな町や村を訪れ、…

「花森安治のデザイン」と1956年の表紙

「花森安治のデザイン」には、暮しの手帖の30年間の表紙原画、書籍の装釘原画、カット、手書き文字など約300点が掲載されています。ちょうど、展覧会の図録のような感じで、創刊号からの手仕事を見ることができます。表紙に使われているのは、「暮しの…

紙ヒコーキの作り方 二宮康明 1972年 その2

いよいよ組み立てです まず胴体に水平尾翼をはり付けます。つぎに、主翼は胴体を中心線を合わせて、しっかりとのり付けします。一番大切なことは、主翼と、胴体がすき間なく密着されること。 翼をとりつける際には、胴体の上面をハサミなどでしごいて、平ら…

紙ヒコーキの作り方 二宮康明 1972年 その1

1972年の紙ヒコーキ 二宮康明さんの紙ひこうき、私も小学生のときに、 弟と一緒にせっせと作っては、原っぱで飛ばしました。「暮しの手帖」に紹介されている記事は、 1972年17号 ( Spring ) に掲載されていたものです。わずか4ページの記事です。 で…

フランス ELLE 誌 手芸作品展 「樹」 1976年 

樹 針と糸の作り出す世界 フランスの女性週刊誌「エル」が手芸作品を公募して、年一回展覧会をひらいています。今回の課題は《樹》でした。そのなかの、何点かをお目にかけます。このすばらしい作品をみていくと、ぬいとりやアプリケの技術も大切でしょうけ…

暮しの手帖 昭和のバックナンバー 

「呼吸している」雑誌 知りあいの方から、創刊号から1970年代までの「暮しの手帖」を譲り受けたのがきっかけです。 表紙のイラストや写真はもちろん、ページをぱらぱらとめくるたび新しい発見があり、特に興味をひかれたのは紙質とレイアウト、印刷の美…