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昭和の「暮しの手帖」から

創刊号〜70年代「暮しの手帖」バックナンバーから。珠玉の記事をピックアップ

『暮しの手帖』はじめてのオムレツ 1949年

日本の西洋料理はフランス料理 「これから当分、西洋料理のことについて、知っていること、お役にたつことを思い出すままに書いてゆきたいと思っていますが、私は何といっても料理人なので、思うこと、考えていることを上手な表現で書きあらわすことが出来ま…

「西洋料理入門」がスタート 1949年

『暮しの手帖』に西洋料理は、たいへんに早い時期に登場します。昭和24年春の第3号から、千葉千代吉さんの「西洋料理入門」が連載としてスタートします。「とと姉ちゃん」ですっかりおなじみとなった、花森安治、大橋鎮子さんらが『暮しの手帖』創刊号を…

1949年のおセンタク『暮しの手帖』

昭和24年夏の第4号。 平塚らいてうの「ゴマじるこの作り方」、直線裁ちのコドモ服などがのっている。もちろん、電気洗たく機はまだなかった。 センタクはどこの家でもタライとセンタク板でごしごしと洗っていた。手前に見えるのは、井戸の水をくみ上げる…

平塚らいてう「陰陽の調和」から 1949年

「暮らし」について書いてもらおう 平塚らいてうが『暮しの手帖』に初登場したのは、第2号(昭和24年)に掲載された「陰陽の調和」というエッセイ。花森安治は、エッセイの原稿はあえて専門のことについてでなく、「暮らし」について書いてもらおうと考え…

フライパンの存在感 『暮しの手帖』第2号 1949年

焼あとのレンガで作った煖炉 『とと姉ちゃん』第90話では、終戦後の焼け跡に、間に合わせに建てられたバラックで何とか暮らす人たちを、立ち退かせる事業に背を向けて、常子の雑誌作りに応じる花山伊左次の姿がありました。花山のモデルになっているのが花森…

平塚らいてう「ゴマじるこ」の作り方 1949年

昭和24年、平塚らいてうは「陰陽の調和」というエッセイで、『美しい暮しの手帖』第2号に初登場。 らいてうが疎開して生活をしていた地に、家庭料理の第一人者、中江百合が訪ねてきたときに、うれしさにこの日ばかりは、大いに腕によりをかけて、料理で歓…

『暮しの手帖』平塚らいてう初登場 1949年

平塚らいてうが『暮しの手帖』に初めて登場したのは、第2号に掲載された「陰陽の調和」というエッセイ。朝ドラ「あさが来た」に女子大生として登場した平塚らいてうは、25歳のときに『青鞜』を創刊。らいてうが書いた『青鞜』創刊の辞「元始、女性は太陽…

台所に椅子をおく リンゴ箱から作る 暮しの手帖 1949年

なんにもなかったあの頃 終戦から3年たった昭和23年は、「暮しの手帖」にとっても身を切られるようにつらい年の暮れだったといいます。秋に出した第一号は一万部刷り、みんなで手わけしてリュックにつめ、毎日東京を中心に湘南、千葉、茨城、群馬と本屋さ…

37個のリンゴ木箱 暮しの手帖 1949年

最近では本棚や机など、ちょっとした家具として、洋服やタオルなど収納として、木製のリンゴ箱が見直されている。スペースに合わせて、組み合わせたり積んだり自由になるし、ささくれをヤスリがけする程度でも、手をかけずにそのまま使ってしまえばいいラフ…

ホット・ドッグ 内田誠 「暮しの手帖」1949年

初期の『BRUTUS』を思い出したエッセイ 『暮しの手帖』といえば、食べ物についてのエッセイも個性的だ。シャンソン歌手、石井好子さんの『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』は、花森安治さんの装丁でベストセラーになっている。 昭和24年(1949…