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昭和の「暮しの手帖」から

創刊号〜70年代「暮しの手帖」バックナンバーから。珠玉の記事をピックアップ

料理店にまけないカレーライス:千葉千代吉 1952年

志賀直哉のカレーライス 昭和27年の初夏号(第16号)に掲載された「料理店にまけないカレーライス」です。大橋鎭子さん三姉妹もカレーが大好きで、大橋家のカレーはこのレシピをもとにしていたそうですが、志賀直哉氏がこの記事を見て自分で作り、「書い…

「暮しの手帖」とわたし:表紙イラストがおもしろい

AFTER-NOON at KURASHI no TECHO 『暮しの手帖とわたし』といえば、とと姉ちゃんのモデルになった大橋鎮子さんが、昭和の名編集者、花森安治さんとともに『暮しの手帖』を作り続けたあれこれを、90歳になって書いた自伝です。本の帯には「暮しの手帖社社長…

『暮しの手帖』の表紙 第44号〜第50号 表紙が写真に

第44号:Early summer 1世紀44号 1958年5月 フィルム表紙に大きな変化がありました。 今までの手描きのイラストから、写真に変わります。 表紙を開くと、ウグイス色がかったレモンイエローの目次があらわれます。 そこには、花森安治の挿し絵や手描きの文…

『暮しの手帖』の表紙 第37号〜第43号 

第37号・Winter 1世紀37号 1956年12月 水彩・色鉛筆 欧風の建築は花森安治の好きなモチーフ。 右上のヴァーミリオンの「37」がアクセントに効いている、『暮しの手帖』を代表するような表紙のひとつです。 表紙をめくると、雪景色。 グレーとピンク、洒…

『暮しの手帖』はじめてのオムレツ 1949年

日本の西洋料理はフランス料理 「これから当分、西洋料理のことについて、知っていること、お役にたつことを思い出すままに書いてゆきたいと思っていますが、私は何といっても料理人なので、思うこと、考えていることを上手な表現で書きあらわすことが出来ま…

「西洋料理入門」がスタート 1949年

『暮しの手帖』に西洋料理は、たいへんに早い時期に登場します。昭和24年春の第3号から、千葉千代吉さんの「西洋料理入門」が連載としてスタートします。「とと姉ちゃん」ですっかりおなじみとなった、花森安治、大橋鎮子さんらが『暮しの手帖』創刊号を…

中川一政「えのぐ」と酒倉 『暮しの手帖』 1957年

『暮しの手帖』第38号(1957年春)に、中川一政の「えのぐ」というエッセイが掲載されています。ずいぶん前のことですが、真鶴美術館での中川一政展のチラシに「酒倉」の絵が、これはメインにレイアウトされた作品ではなかったから、小さくのっていた…

『暮しの手帖』の表紙 第31号〜第36号 

「暮しの手帖に、商品の写真や記事をのせるには、いくらぐらい出せばいいか?」30号まで雑誌を作ったときに、花森安治は初めて聞かれたといいます。創刊から8年たって、発行部数は50万部に近く、それだけ記事が読まれ、商品の売れ行きを左右する雑誌に…

広告について語るときに花森安治の語ること 1955年

創刊から8年 「暮しの手帖に、商品の写真や記事をのせるには、いくらぐらい出せばいいか?」30号まで雑誌を作ったときに、花森安治は初めてそう聞かれたといいます。創刊から8年たって、それだけ記事が読まれ、参考にされ、商品の売れ行きを左右する雑誌…

商品テスト(日用品のテスト報告)その3 鉛筆 1955年

鉛筆のある暮し かんがえてみると、おかしな話だ。 ものを書きつけるということは、人間が人間らしい生活をはじめてから長い間の習慣なのに。 「おい、ちょっと鉛筆を貸してくれ」 「鉛筆?どこへいったかしら?太郎ちゃん、太郎ちゃん!お父様が鉛筆だって…

カスタード・プディングのレシピ 『暮しの手帖』1960年

白、黄色、そして黄金色 昭和25年の第7号、とと姉ちゃんに登場した『暮しの手帖』のホットケーキが掲載されています。 レシピの担当は、巴里コロンバン銀座店。次の号では、同じくコロンバン銀座店のカスタードプディング。それからちょうど10年たった…

『暮しの手帖』のカスタード・プディング再び 1960年

巴里コロンバン銀座店のプリンから10年 とと姉ちゃん第18週「常子、ホットケーキをつくる」に登場した『暮しの手帖』のホットケーキ。 これは、雑誌のグラビアページ(モノクロですが)に初めて食べ物をのせた記事で、昭和25年の第7号のこと。 レシピの…

『暮しの手帖』の表紙 第23号〜第30号 

「とと姉ちゃん」もそろそろ最終回。名残惜しい気持ちがします。 第23号 1世紀23号 1954年3月 オイルパステル 22号の雪の街に続いて、花森安治の描く、オイルパステルの愉しい表紙が続いていきます。人の暮しへの思いがにじみ出てくるイラストです。…

1949年のおセンタク『暮しの手帖』

昭和24年夏の第4号。 平塚らいてうの「ゴマじるこの作り方」、直線裁ちのコドモ服などがのっている。もちろん、電気洗たく機はまだなかった。 センタクはどこの家でもタライとセンタク板でごしごしと洗っていた。手前に見えるのは、井戸の水をくみ上げる…

『暮しの手帖』 初期の商品テスト アイロン・電気ガマ・トースター

初期の商品テスト一覧 『暮しの手帖』の柱となった商品テスト。 初めの頃は「日用品のテスト報告 暮しの手帖研究室」というタイトルでした。第1回めのソックスが掲載されたのは、昭和29年の26号。 それから「日用品のテスト報告」というタイトルは、ガ…

暮しの手帖研究室の協力者 読者から募集 1954年

「とと姉ちゃん」の第127話では、主婦テスターにアイロンがけを依頼してアイロンの商品テストが始まりましたが、実際に昭和29年の第27号で、編集部は「暮しの手帖研究室」に協力してくれる読者を募集しています。商品テストの第1回目となる「ソックス」…

ジャムを作りましょう サト・ナガセ『暮しの手帖』1954年

ページをめくっていて、写真の美しさに思わず手がとまってしまったのが、こちら。 イチゴの季節です ジャムを作りましょう サト・ナガセ バロック期のイタリアやオランダの絵画を見るようでもあり、モノクロを超えた色彩感と質感が伝わってきます。竹を編ん…

商品テストは消費者のためではない 『暮しの手帖』100号

花森安治「商品テスト入門」 『暮しの手帖』が日本ではじめて商品テストを公表してから17年目、第100号の出た昭和44年(1969年)までには、ソックス、マッチ、鉛筆、電球など身近な生活用品から始まって、アイロン、トースター、洗濯機、ストーブ…

『暮しの手帖』童話と北欧デザイン 1952年

平塚らいてうの座談会とサプライズ 第4号の平塚らいてうの「ゴマじるこ」から3年、平塚らいてうが再登場するのは、第18号(昭和27年)の「我が若き日」という座談会になります。 岡田八千代、林きむ子、山川菊栄、平塚らいてうと、明治に生まれ育ち、…

商品テスト(日用品のテスト報告)その1 ソックス 1954年

第20号(昭和28年)の「日本品と外国品をくらべる〈石けん〉 暮しの手帖研究室」は、商品テストの前身になるのでしょう。テストで取り上げた石けんは、すべて商品名は実名で出しています。石けんの洗浄力や、石けんが皮膚をあらす「遊離アルカリ」の度合…

石けん 日本品と外国品をくらべる 『暮しの手帖』 1953年

商品テスト前の記事 昭和28年、第20号の「日本品と外国品をくらべる 石けん 暮しの手帖研究室」。暮しの手帖のもくじに、「暮しの手帖研究室」として初めて登場した記事と思うのですが、この〈石けん〉はまだ「商品テスト」の前の段階。 『暮しの手帖』…

商品テストは「暮しの手帖研究室」から

暮しの手帖のもくじに、「暮しの手帖研究室」が登場してきたのは、いつ頃だろう。昭和28年、第20号の「日本品と外国品をくらべる 石けん 暮しの手帖研究室」が初登場のようだ。20号から雑誌の見た目が変わった印象があって、もくじに花森安治のイラス…

『暮しの手帖』に広告を載せないわけ 花森安治

〈商品テスト〉はヒモつきであってはならない 『暮しの手帖』に広告を載せない、広告費をもらわない理由について。花森安治は100号の「商品テスト入門」のなかで、このようなことを書いている。ときどき、暮しの手帖に広告をのせないわけを聞かれる。理由は…

平塚らいてう「陰陽の調和」から 1949年

「暮らし」について書いてもらおう 平塚らいてうが『暮しの手帖』に初登場したのは、第2号(昭和24年)に掲載された「陰陽の調和」というエッセイ。花森安治は、エッセイの原稿はあえて専門のことについてでなく、「暮らし」について書いてもらおうと考え…

蒸し器のプディング レシピ『暮しの手帖』1950年

暮しの手帖に初めて掲載された食べ物の記事、それが「誰にでも必ず出来るホットケーキ」でした。レシピと作り方は、銀座一流店「コロンバン」の門倉国彦氏が担当。ホットケーキの次に掲載されたレシピは、同じくコロンバンの「プディング」天火(オーブン)…

ホットケーキの次はプディング『暮しの手帖』おやつ

作るプロセスを写真にした『暮しの手帖』 暮しの手帖7号(昭和25年)のグラビアページ(といってもモノクロ写真ですが)に初めて掲載された食べ物の記事、それが「誰にでも必ず出来るホットケーキ」でした。レシピと作り方は、銀座一流店「コロンバン」の…

雑誌をリュックに背負って、本屋をまわった頃『暮しの手帳』1948年

「この雑誌を作りはじめたころは、新しい号がでるたびに、いつも私たち手わけしてはリュックにぎっしり本をつめ、西は三島、沼津から北は宇都宮、水戸まで、ひと駅ひと駅ずつ降りて、本屋さんに本を置いていただきに歩きました。朝は一番か二番の汽車に乗り…

フライパンの存在感 『暮しの手帖』第2号 1949年

焼あとのレンガで作った煖炉 『とと姉ちゃん』第90話では、終戦後の焼け跡に、間に合わせに建てられたバラックで何とか暮らす人たちを、立ち退かせる事業に背を向けて、常子の雑誌作りに応じる花山伊左次の姿がありました。花山のモデルになっているのが花森…

直線裁ちは着こなし勝負?『暮しの手帖』創刊号

暮しの手帖創刊号に掲載された6点の直線裁ちの作品。*紺ガスリの服 *赤と黄の格子縞 *ジャンパー・スカート *更紗もようのツーピース *袖なし外套 *銘仙地の格子縞「紺ガスリの服」と「赤と黄色の格子縞」の2点は前回のブログにありますが、他の4点…

洋裁学校にモノ申す 花森安治 『暮しの手帖』創刊号

「服飾の読本」花森安治 『暮しの手帖』創刊号には直線裁ちのほかにも、花森安治の「服飾の読本」というファッションについての特集記事が巻末にあります。 *流行を取り入れる前に *日本人に一番いいスカートの長さ *流行の逆手を取る *金ピカ趣味を軽ベ…

直線裁ちのデザイン 『暮しの手帖』創刊号

着物を活用するために 昭和21年、銀座から『スタイルブック 1946 夏』が創刊されます。 『暮しの手帖』が創刊される2年前のことです。 「いろいろ考えると、日本の着物はなかなかいいものだ。戦争でふだん着るものには不自由しているが、まだ、昔からの着物…

スタイルブックと直線裁ち 『暮しの手帖』創刊前

鎮子さん、花森安治と出会う 「とと姉ちゃん」のモデルとなった大橋鎮子さんが花森安治さんと出会ったのは、昭和20年10月なかばのこと。防空壕のなかで、戦争が終わった後のことをすでに考え、終戦の二ヶ月後には花森さんに出版の相談に行くのですから、…

ブラジアのパッドの作り方 『暮しの手帖』創刊号 その2

創刊号の写真ページ「ブラジアのパッドの作り方」に関連して、川村冬子「ブラジア」という記事もあります。同じく写真ページ「可愛い小もの入れ」の関連記事、草加やす子「小もの入れ」がありますが、草加やす子さんは花森安治のペンネームのようなので、川…

『暮しの手帖』の表紙 第15号〜第22号 

『暮しの手帖』は当時、年間4冊の季刊誌だったが、表紙イラストの作風は1年ごとに変化している。 1952年からは、オイルパステルを使って、マルや四角を組み合わせたような、単純化された形や色彩の表紙になっている。 第15号 1世紀15号 1952年3月 オ…

ブラジアのパッドの作り方 『暮しの手帖』創刊号 

『暮しの手帖』創刊号の写真ページをめくっていくと、 〈可愛い小もの入れ〉〈直線裁ちのデザイン〉〈ブラジアのパッドの作り方〉〈自分で結える髪〉・・・と記事が続いていきます。記事のあいだにはさまれて、唐突にという感じで登場する「ブラジアのパッド…

リンゴ箱で作る子供机 『暮しの手帖』1950年

新学期になって、子供に机を買ってやりたいと思った筆者。 しかし、買えば子供の机といっても大人のものとあまり変わらないし、そのわりに、いいものは少ない。 あれこれ考えた末、リンゴ箱を買ってきて工夫することにした。掲載は昭和25年発行の『暮しの…

『暮しの手帖』童話作品の一覧  

富本一枝と藤城清治 「ぼくの影絵が、はじめて本にのったのは、暮しの手帖の〈お母さんが読んで聞かせるお話〉としてだった。はじめ、一号二号は、ぼくが、その頃やっていた人形劇の人形の写真だったけれど、三号から、花森さんにすすめられて、影絵をのせる…

『暮しの手帖』の表紙 第11号〜第14号

第11号 1世紀11号 1951年1月 (原画)ポスターカラーで描かれた表紙。原画と雑誌表紙の色合いが、だいぶ違うのは、当時の印刷技術やインクの加減なのか、あえて変えたのかは分かりませんが、ブルー系がグリーンに出ています。ところが、かえって洒落た感…

『暮しの手帖』の表紙 創刊号〜第10号まで

『暮しの手帖』の創刊号から第2世紀53号まで、30年間にわたって153冊の表紙を手がけてきたのは花森安治でした。 創刊号から100号まで(1948〜1969年)を『暮しの手帖』1世紀と呼んでいますが、43号までが手描きのイラストで、44号からは表紙…

平塚らいてう「ゴマじるこ」の作り方 1949年

昭和24年、平塚らいてうは「陰陽の調和」というエッセイで、『美しい暮しの手帖』第2号に初登場。 らいてうが疎開して生活をしていた地に、家庭料理の第一人者、中江百合が訪ねてきたときに、うれしさにこの日ばかりは、大いに腕によりをかけて、料理で歓…

『暮しの手帖』平塚らいてう初登場 1949年

平塚らいてうが『暮しの手帖』に初めて登場したのは、第2号に掲載された「陰陽の調和」というエッセイ。朝ドラ「あさが来た」に女子大生として登場した平塚らいてうは、25歳のときに『青鞜』を創刊。らいてうが書いた『青鞜』創刊の辞「元始、女性は太陽…

『暮しの手帖』の花森安治と平塚らいてう

1948年(昭和23年)、まだあちこちに焼け跡がめだつ銀座の町で『美しい暮しの手帖』が創刊された。名物編集者であった花森安治は、1911年(明治44年)10月25日、神戸市西部(須磨)の平田町生まれ。祖父の代から貿易商だった父と、師範学校を出て小学生の先…

平塚らいてう(平塚明)と「あさが来た」

朝ドラを見たことがない・・・ 昭和の「暮しの手帖」についてのブログを始めたのは、創刊号から1970年代まで保管されていたものを、知り合いの方から譲ってもらったのがきっかけです。特に表紙が素晴らしく思って、紙質や印刷にも味があり、たいへん手のかか…

暮しの手帖とムーミンと 1954年の表紙 

家と花と樹木 花森安治さんがイラストと題字を手がけた「暮しの手帖」表紙には、人気のある表紙がいくつかありますが、1954年3月の第23号もそのひとつでしょう。 第23号は赤い屋根がアクセントになった家を中心に、前は黄色と赤の花畑、うしろは果…

「暮しの手帖」創刊号 最初の記事は 1948年

可愛いい小もの入れ 昭和23年(1948年)9月に創刊された「美しい暮しの手帖」のトップを飾った記事は、「可愛いい小もの入れ」でした。 大橋さんが考えて中野さんが縫った 創刊号の目次には、次のスタッフ名が記されています。 表紙 花森安治 写真 松本政利 …

暮しの手帖 第一号(創刊号)表紙から 1948年

私の手もとにある創刊号からの「暮しの手帖」は、もともと知人の実家で保管されていたものを譲って頂いたのですが、ご両親は大橋鎮子さんと同世代だと思います。本棚に創刊号から1970年代までの号が並んで、貴重な昭和のゴジラの漫画本などといっしょに大切…

台所に椅子をおく リンゴ箱から作る 暮しの手帖 1949年

なんにもなかったあの頃 終戦から3年たった昭和23年は、「暮しの手帖」にとっても身を切られるようにつらい年の暮れだったといいます。秋に出した第一号は一万部刷り、みんなで手わけしてリュックにつめ、毎日東京を中心に湘南、千葉、茨城、群馬と本屋さ…

『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』暮しの手帖 1960年

食べ物エッセイのはしりとして 『暮しの手帖』の編集長、花森安治さんに、 「たべものの随筆を書いてごらん。あなたは食いしん坊だから、きっとおいしそうな文章が書けるよ。」とすすめられて、1960年『暮しの手帖』に連載を始めて、そして一冊の本になった…

「みかん箱から」暮しの手帖 1951年

昭和の「暮しの手帖」には、「片付け術」と呼べるような収納のヒントや工夫の記事も多いのだが、もちろん事情は今とまったく違う。暮しの手帖の創刊は、戦後3年目の1948年(昭和23年)で、戦災による住宅焼失と復員や引揚げによる人口増加で、住宅不…

37個のリンゴ木箱 暮しの手帖 1949年

最近では本棚や机など、ちょっとした家具として、洋服やタオルなど収納として、木製のリンゴ箱が見直されている。スペースに合わせて、組み合わせたり積んだり自由になるし、ささくれをヤスリがけする程度でも、手をかけずにそのまま使ってしまえばいいラフ…