昭和の「暮しの手帖」から

創刊号〜70年代「暮しの手帖」バックナンバーから。珠玉の記事をピックアップ

「台所のふきん」こぼれ話  暮しの手帖

日東紡と暮しの手帖社が共同開発した、拭きやすく、ケバが付かず、早く乾くふきんは、今に至るロングセラー商品。このふきんを開発するための、テスト記事が『暮しの手帖』に掲載されたのは、昭和35年の第54号。 この記事は、創刊以来、もっとも読者から…

続・台所の「ふきん」をあなどるなかれ 1960年

昭和35年、日東紡と暮しの手帖社の共同研究として、二年がかりで作り上げられた新しいふきん。 丈夫さ、吸水性、使いやすさ、あらゆる角度からテストを重ねたふきんです。ですが・・・それでも生乾きで使い続けたら、やっぱりふきんは臭くなってしまいます…

台所の「ふきん」をあなどるなかれ 1960年

昭和の頃、我が家でもこの「日東紡のふきん」を使っていました。 ふきんの特徴的なヘリの色に見覚えがあるし。でも、時代を経て、なぜか使わなくなった。忘れてしまっただけかもしれない。でも「なぜだろう?」と考えたら、新しい商品の方が「拭くもの」とし…

「ぬいとりの花」刺しゅうの図案 1951年

初期の『暮しの手帖』では、唯一のカラーページが、刺しゅうの4ページでした。ひかえめに、「ぬいとりの花 武井孝子」と見出しがあるほかには、何も文章は付いていないのです。昭和26年6月の第12号、まだタイトルが『美しい暮しの手帖』だった頃です。…

『暮しの手帖』の表紙 第71号〜第80号 東京オリンピック

第71号:Autumn 1世紀71号 1963年9月 フィルム東京オリンピックの1年前。この年の9月に『暮しの手帖』は、15年周年。 創刊号は1万部でスタート、第71号では80万部の雑誌に。 merimaa88.hatenablog.com 第72号:Winter 1世紀72号 1963年12月 フィル…

花森安治のエッセイから 東京オリンピック・1964年 その2

『暮しの手帖』に掲載された、花森安治のふたつのエッセイから、当時の東京オリンピック事情が伝わってきます。その2では、オリンピック聖火リレーをテレビで見た後に書かれた、「ネジのゆるんだオリンピック」。1964年第76号(秋)「お茶でもいれて」に収…

花森安治のエッセイ 東京オリンピック・1964年 その1

『暮しの手帖』に掲載された、花森安治のふたつのエッセイから、当時のオリンピック事情が伝わってきます。オリンピック前年の1963年、第71号(秋)に掲載された「お茶でもいれて」。オリンピック聖火リレーをテレビで見た後に書かれた、1964年第76号(秋)…

『暮しの手帖』と東京オリンピック 1964年

1964年(昭和39年)10月10日から開催された東京オリンピック。夏季大会に立候補した東京が、デトロイト・ウィーン・ブリュッセルの3都市を破り、開催地に選出されたのは1959年(昭和34年)5月のことでした。同年4月には、皇室のご成婚があり、ミッチー・ブ…

新潟地震とバス団地 『暮しの手帖』1964年

東京オリンピック4ヶ月前に M7.5 日本は、世界の陸地面積の0.25%の小さな国ですが、世界のM6以上の地震の2割が発生しています。東京オリンピックのようなイベントがあろうと、大地震は起きる時には起きてしまう、世界でもっとも災害リスクの高い都…

『暮しの手帖』の表紙 第61号〜第70号

第61号:Autumn 1世紀61号 1961年9月 フィルム 第62号:Winter 1世紀62号 1961年12月 フィルム 天ぷらの油などに火が入ったら・・・濡れタオル、ぴったりとしたフタをするのが有効、という『暮しの手帖』の結果は、現在の横浜消防局でも同じでした。 横浜市…

『暮しの手帖』の表紙 第50号〜第60号 伝説的な商品テスト

第50号:Summer 1世紀50号 1959年7月 フィルム昭和34年4月の皇室のご成婚と、創刊50号を祝うような薔薇の表紙。ピンクの薔薇の花ことばは、「grace(上品)」「gratitude(感謝)」「happiness(幸福)」また、この年の5月には、オリンピック夏季大会…

料理店にまけないカレーライス:千葉千代吉 1952年

昭和27年の初夏、16号の「料理店にまけないカレーライス」です。大橋鎭子三姉妹もカレーが大好きで、大橋家のカレーはこのレシピをもとにしていたそう。小説家の志賀直哉がこの記事を見て自分で作り、「書いてある通り作ったら、おいしくできた。暮しの…

「暮しの手帖」とわたし:表紙イラストが面白い 

AFTER-NOON at KURASHI no TECHO 『暮しの手帖とわたし』 とと姉ちゃんのモデルになった大橋鎮子さんが、昭和の名編集者、花森安治さんとともに『暮しの手帖』を作り続けたあれこれを、90歳になって書いた自伝です。本の帯には「暮しの手帖社社長、モデル…

『暮しの手帖』の表紙 第41号〜第50号 

第41号・Autumn 1世紀41号 1957年9月 ポスターカラー・鉛筆 この時期は、楽しい表紙が続いていきますね。入り江の街。 目次のトウモロコシのイラスト。もはやアート! 第42号・Winter 1世紀42号 1957年12月 水彩・オイルパステル 椅子も『暮しの手帖』にはお…

『暮しの手帖』はじめてのオムレツ 1949年

西洋料理の一番はフランス 「これから当分、西洋料理のことについて、知っていること、お役にたつことを思い出すままに書いてゆきたいと思っていますが、私は何といっても料理人なので、思うこと、考えていることを上手な表現で書きあらわすことが出来ません…

「西洋料理入門」がスタート 1949年

『暮しの手帖』に西洋料理は、たいへんに早い時期に登場します。昭和24年春の第3号から、千葉千代吉さんの「西洋料理入門」が連載としてスタートします。「とと姉ちゃん」のモデルとなった、花森安治、大橋鎮子さんらが『暮しの手帖』を創刊し、2号、3…

暮しの手帖 中川一政「えのぐ」1957年

『暮しの手帖』第38号(1957年)の表紙は、春らしい明るいイラスト。 中川一政のエッセイ「えのぐ」が掲載されています。 処女作となった「酒倉」が描かれたエピソードとして、貴重なエッセイです。 第38号 spring 1957 「えのぐ」中川一政 私は此間(…

『暮しの手帖』の表紙 第31号〜第40号 

「暮しの手帖に、商品の写真や記事をのせるには、いくらぐらい出せばいいか?」30号まで雑誌を作ったときに、花森安治は初めて聞かれたといいます。創刊から8年たって、発行部数は50万部に近く、それだけ記事が読まれ、商品の売れ行きを左右する雑誌に…

広告について語るときに花森安治の語ること 1955年

創刊から8年たって・・・ 「暮しの手帖に、商品の写真や記事をのせるには、いくらぐらい出せばいいか?」30号まで雑誌を作ったときに、花森安治は初めてそう聞かれたといいます。創刊から8年たって、それだけ記事が読まれ、参考にされ、商品の売れ行きを…

商品テスト(日用品のテスト報告)その3 鉛筆 1955年

鉛筆のある暮し かんがえてみると、おかしな話だ。 ものを書きつけるということは、人間が人間らしい生活をはじめてから長い間の習慣なのに。「おい、ちょっと鉛筆を貸してくれ」 「鉛筆?どこへいったかしら?太郎ちゃん、太郎ちゃん!お父様が鉛筆だって」…

カスタード・プディングのレシピ 『暮しの手帖』1960年

白、黄色、そして黄金色 昭和25年の第7号、モノクロのグラビア・ページに、とと姉ちゃんに登場した「ホットケーキ」が掲載されています。レシピは、巴里コロンバン銀座店が担当しました。次の号では、やはり巴里コロンバン銀座店の「カスタードプディング…

ご飯蒸しで作るプディング いろいろ 1960年

プリンとプディングの違いは? プリンは、プディングの発音がプリンになった和製英語。 日本ではほとんどの場合、カスタード・プディングのことをいいます。では、プディング(pudding)って、どんなものでしょう?プディングには、じつにいろんな種類があっ…

1949年のおセンタク『暮しの手帖』

昭和24年夏の第4号。 平塚らいてうの「ゴマじるこの作り方」、直線裁ちのコドモ服などがのっている。もちろん、電気洗たく機はまだなかった。 センタクはどこの家でもタライとセンタク板でごしごしと洗っていた。手前に見えるのは、井戸の水をくみ上げる…

『暮しの手帖』 初期の商品テスト アイロン・電気ガマ・トースター

初期の商品テスト一覧 『暮しの手帖』の柱となった商品テスト。 初めの頃は「日用品のテスト報告 暮しの手帖研究室」というタイトルでした。第1回めの〈ソックス〉が掲載されたのは、昭和29年の26号。 それから「日用品のテスト報告」というタイトルは…

暮しの手帖研究室の協力者 読者から募集 1954年

「とと姉ちゃん」の第127話では、主婦テスターにアイロンがけを依頼してアイロンの商品テストが始まりました。 実際に昭和29年の27号で、編集部は「暮しの手帖研究室」に協力してくれる読者を募集しています。商品テストの第1回目となる「ソックス」を…

ジャムを作りましょう サト・ナガセ『暮しの手帖』1954年

ページをめくっていて、写真の美しさに思わず手がとまってしまったのが、こちら。 イチゴの季節です ジャムを作りましょう サト・ナガセ バロック期のイタリアやオランダの絵画を見るようでもあり、モノクロを超えた色彩感と質感が伝わってきます。竹を編ん…

商品テストは消費者のためではない 『暮しの手帖』100号

花森安治「商品テスト入門」 『暮しの手帖』が日本ではじめて商品テストを公表してから17年目、第100号の出た昭和44年(1969年)までには、ソックス、マッチ、鉛筆、電球など身近な生活用品から始まって、アイロン、トースター、洗濯機、ストーブ…

童話「おくびょうなうさぎ」 富本一枝とらいてう 1952年

平塚らいてうの座談会とサプライズ 第4号の平塚らいてう「ゴマじるこ」から3年。平塚らいてうが『暮しの手帖』に再登場するのは、第18号(昭和27年)の「我が若き日」という座談会になります。岡田八千代、林きむ子、山川菊栄、平塚らいてうと、明治に…

商品テスト(日用品のテスト報告)その1 ソックス 1954年

第20号(昭和28年)の「日本品と外国品をくらべる〈石けん〉 暮しの手帖研究室」は、商品テストの前身になるのでしょう。テストで取り上げた石けんは、すべて商品名は実名で出しています。ただ、石けんの洗浄力や、石けんが皮膚をあらす「遊離アルカリ」…

石けん 日本品と外国品をくらべる 『暮しの手帖』 1953年

商品テスト前の記事 昭和28年、第20号の「日本品と外国品をくらべる 石けん 暮しの手帖研究室」。暮しの手帖のもくじに、「暮しの手帖研究室」として初めて登場した記事と思うのですが、この〈石けん〉はまだ「商品テスト」の前の段階。 『暮しの手帖』…

商品テストは「暮しの手帖研究室」から

「暮しの手帖研究室」が雑誌に登場してきたのは、いつ頃でしょう?昭和28年、20号の「日本品と外国品をくらべる 石けん 暮しの手帖研究室」が初登場のようです。20号からは、もくじに花森安治のイラストが入り、活字がひとまわり小さくなり、4段組や…

『暮しの手帖』に広告を載せないわけ 花森安治

〈商品テスト〉はヒモつきであってはならない 『暮しの手帖』に広告を載せない、広告費をもらわない理由について。花森安治は第100号の「商品テスト入門」のなかで、このようなことを書いている。 ときどき、暮しの手帖に広告をのせないわけを聞かれる。理由…

平塚らいてう「陰陽の調和」から 1949年

「暮らし」について書いてもらおう 平塚らいてうが『暮しの手帖』に初登場したのは、第2号(昭和24年)に掲載された「陰陽の調和」というエッセイ。花森安治は、エッセイの原稿はあえて専門のことについてでなく、「暮らし」について書いてもらおうと考え…

蒸し器のプディング レシピ『暮しの手帖』1950年

『暮しの手帖』のグラビア・ページに初めて掲載された食べ物の記事、それが「誰にでも必ず出来るホットケーキ」でした。レシピと作り方は、銀座一流店「コロンバン」の門倉国彦氏が担当。ホットケーキの次に掲載されたレシピは、同じくコロンバンの「プディ…

フライパンの存在感 『暮しの手帖』第2号 1949年

焼あとのレンガで作った煖炉 『とと姉ちゃん』第90話では、終戦後の焼け跡に、間に合わせに建てられたバラックで何とか暮らす人たちを、立ち退かせる事業に背を向けて、常子の雑誌作りに応じる花山伊左次の姿がありました。この場面で花山が拾い上げて手にし…

直線裁ちは着こなし勝負?『暮しの手帖』創刊号

『暮しの手帖』創刊号に掲載された、6点の直線裁ちの作品。*紺ガスリの服 *赤と黄の格子縞 *ジャンパー・スカート *更紗もようのツーピース *袖なし外套 *銘仙地の格子縞「紺ガスリの服」と「赤と黄色の格子縞」の2点は前回のブログにありますが、他…

洋裁学校にモノ申す 花森安治 『暮しの手帖』創刊号

NHK の朝ドラ「とと姉ちゃん」のなかで、花山と常子らが直線建ちの講座を開き、当日会場に行ってみると、応募者はたくさんいたはずなのに誰もいない。 実はチケットを洋裁学校が買い占めてしまっていた、という場面があります。このエピソードのもとになる実…

直線裁ちのデザイン 『暮しの手帖』創刊号

着物を活用するために 昭和21年、銀座から『スタイルブック 1946 夏』が創刊されます。 『暮しの手帖』が創刊される2年前のことです。 「いろいろ考えると、日本の着物はなかなかいいものだ。戦争でふだん着るものには不自由しているが、まだ、昔からの着…

スタイルブックと直線裁ち 『暮しの手帖』創刊前

鎮子さん、花森安治と出会う 「とと姉ちゃん」のモデルとなった大橋鎮子さんが花森安治さんと出会ったのは、昭和20年10月なかばのこと。防空壕のなかで、戦争が終わった後のことをすでに考え、終戦の二ヶ月後には花森さんに出版の相談に行くのですから、…

ブラジアのパッドの作り方 『暮しの手帖』創刊号 その2

創刊号の写真ページ「ブラジアのパッドの作り方」について、川村冬子「ブラジア」という記事もあります。同じく写真ページ「可愛い小もの入れ」の関連記事に、草加やす子「小もの入れ」がありますが、草加やす子は花森安治のペンネームといいます。川村冬子…

『暮しの手帖』の表紙 第21号〜第30号 

第21号 1953年9月 オイルパステル 第22号 1953年12月 オイルパステル、グワッシュ、鉛筆 この号から、「美しい暮しの手帖」から「暮しの手帖」に雑誌名を変更。 シンプルな雪景色。数ある表紙の中でも、人気のある美しい表紙のひとつなのではと思います。 独…

ブラジアのパッドの作り方 『暮しの手帖』創刊号 

洋装の必需品に 『暮しの手帖』創刊号の、グラビア・ページでは、 〈可愛い小もの入れ〉 〈直線裁ちのデザイン〉 〈ブラジアのパッドの作り方〉 〈自分で結える髪〉・・・と記事が続いていきます。記事のあいだにはさまれて登場する「ブラジアのパッドの作り…

リンゴ箱で作る子供机 『暮しの手帖』1950年

新学期になって、子供に机を買ってやりたいと思った筆者。しかし、買えば子供の机といっても大人のものとあまり変わらないし、そのわりに、いいものは少ない。 あれこれ考えた末、リンゴ箱を買ってきて工夫することにした。掲載は、昭和25年発行の『暮しの…

『暮しの手帖』童話作品の一覧  

富本一枝と藤城清治 「ぼくの影絵が、はじめて本にのったのは、暮しの手帖の〈お母さんが読んで聞かせるお話〉としてだった。はじめ、一号二号は、ぼくが、その頃やっていた人形劇の人形の写真だったけれど、三号から、花森さんにすすめられて、影絵をのせる…

『暮しの手帖』の表紙 第11号〜第20号

第11号 1世紀11号 1951年1月 (原画) ポスターカラー 原画と雑誌表紙の色合いが、だいぶ違うのは、当時の印刷技術やインクの加減なのか、あえて変えたのかは分かりませんが、ブルー系がグリーンに出ています。 ところが、かえって洒落た感じに思えるのが…

『暮しの手帖』の表紙 創刊号〜第10号まで

『暮しの手帖』の創刊号から第2世紀53号まで、30年間にわたって153冊の表紙を手がけてきたのは花森安治でした。 創刊号から100号まで(1948〜1969年)を『暮しの手帖』1世紀と呼んでいます。1世紀は、43号までが手描きのイラストで、…

平塚らいてう「ゴマじるこ」の作り方 1949年

昭和24年、平塚らいてうは「陰陽の調和」というエッセイで、『美しい暮しの手帖』第2号に初登場。 らいてうが疎開して生活をしていた地に、家庭料理の第一人者、中江百合が訪ねてきたときに、うれしさにこの日ばかりは、大いに腕によりをかけて、料理で歓…

『暮しの手帖』平塚らいてう初登場 1949年

平塚らいてうが『暮しの手帖』に初めて登場したのは、第2号に掲載された「陰陽の調和」というエッセイ。朝ドラ「あさが来た」に女子大生として登場した平塚らいてうは、25歳のときに『青鞜』を創刊。らいてうが書いた『青鞜』創刊の辞「元始、女性は太陽…

『暮しの手帖』の花森安治と平塚らいてう

1948年(昭和23年)、まだあちこちに焼け跡がめだつ銀座の町で『美しい暮しの手帖』が創刊された。名物編集者であった花森安治は、1911年(明治44年)10月25日、神戸市西部(須磨)の平田町生まれ。祖父の代から貿易商だった父と、師範学校を出て小学生の先…

平塚らいてう(平塚明)と「あさが来た」

朝ドラを見たことがない・・・ 昭和の「暮しの手帖」についてのブログを始めたのは、創刊号から70年代まで保管されていた雑誌を、知り合いの方から譲ってもらったのがきっかけです。特に表紙が素晴らしく、紙質や印刷にも味があり、たいへん手のかかったア…