大掃除は「優秀な布」があるかどうかにかかってる 

雑巾について 大掃除で使う、一枚の布切れ・・・それは「雑巾(ぞうきん)」であったり、クロス、ウエス、台所ならふきんであったり。①「雑巾」は、使い古しのタオルなどを手縫いで再利用したもの②「クロス」は、洗車用などに多い合成繊維(マイクロファイバ…

「台所のふきん」こぼれ話  暮しの手帖より

イラスト:花森安治 もっとも読者からの反響があった記事 日東紡と暮しの手帖社が共同開発した、拭きやすく、ケバが付かず、早く乾くふきん。昭和から今に至る、ロングセラー商品。このふきんを開発するための、テスト記事が『暮しの手帖』に掲載されたのは…

続・台所の「ふきん」をあなどるなかれ 1960年

『暮しの手帖』がまとめた上手なふきんの使い方、6つのポイント。(前回の記事)さらに詳しく見てみましょう。昭和35年、日東紡と暮しの手帖社の共同研究によって、2年がかりで作り上げられた新しいふきん。丈夫さ、吸水性、使いやすさ、あらゆる角度か…

台所の「ふきん」をあなどるなかれ 1960年

昭和のふきん 昭和の時代、我が家でもこの「日東紡のふきん」を使っていました。ふきんのヘリの3色を記憶しています。 でも、時代を経て、いつからか使わなくなって忘れていました。新しい製品に目をひかれたり、安いマイクロファイバー製を使い捨てるとか…

「ぬいとりの花」刺しゅうの図案 1951年

まだ、雑誌のタイトルが『美しい暮しの手帖』だった頃、昭和26年6月の第12号では、雑誌の唯一のカラーページが、4ページの刺しゅうでした。ひかえめに、「ぬいとりの花 武井孝子」と見出しがあるほかには、何も文章はなくて、刺しゅうの写真だけです。…

新潟地震とバス団地 『暮しの手帖』1964年

東京オリンピック4ヶ月前に M7.5 日本は、世界の陸地面積の0.25%の小さな国ですが、世界のM6以上の地震の2割が発生しています。東京オリンピックのようなイベントがあろうと、大地震は起きる時には起きてしまう、世界でもっとも地震リスクの高い都…

料理店にまけないカレーライス:千葉千代吉 1952年

志賀直哉の作ったカレーライス 昭和27年の初夏。第16号の「料理店にまけないカレーライス」です。大橋鎭子三姉妹もカレーが大好きで、大橋家のカレーはこのレシピをもとにしていたとか。小説家の志賀直哉がこの記事を見て自分で作り、「書いてある通り作…

「暮しの手帖」とわたし:表紙イラスト 1958年

AFTER-NOON at KURASHI no TECHO 「暮しの手帖」とわたしは、とと姉ちゃんのモデルになった大橋鎮子さんが、昭和の名編集者、花森安治さんとともに『暮しの手帖』を作り続けたあれこれを、90歳になってから書いた自伝です。帯のコピーは「暮しの手帖社社長…

「西洋料理入門」の連載がスタート 1949年

第3号 千葉千代吉さん 『暮しの手帖』に西洋料理は、たいへんに早い時期に登場します。昭和24年春の第3号から、千葉千代吉さんの「西洋料理入門」が連載としてスタートします。「とと姉ちゃん」のモデルとなった、花森安治、大橋鎮子さんらが『暮しの手…

広告について語るときに花森安治の語ること 1955年

創刊から8年たって・・・ 「暮しの手帖に、商品の写真や記事をのせるには、いくらぐらい出せばいいか?」 30号まで雑誌を作ったときに、花森安治は初めてそう聞かれたといいます。創刊から8年、それだけ記事が読まれ、商品の売れ行きを左右する雑誌にな…

商品テスト(日用品のテスト報告) 鉛筆 1955年

花森安治といえば、「カステルの鉛筆」。濃い緑色の塗りに金文字のドイツ製鉛筆は、花森安治のお気に入りでした。そのカステルの鉛筆が登場する初記事が、初期の商品テストです。 日用品をテストした報告 ★その3 鉛筆 掲載は昭和30年、第28号。終戦から…

カスタード・プディングのレシピ 『暮しの手帖』1960年

白、黄色、そして黄金色 とと姉ちゃんに登場した「ホットケーキ」が掲載されたのは、昭和25年の第7号。 レシピは、巴里コロンバン銀座店が担当。次の号では、やはり巴里コロンバン銀座店の「蒸し器のプディング」。まだ記事は、モノクロのグラビア・ペー…

1949年のおセンタク『暮しの手帖』

昭和24年夏の第4号。平塚らいてうの「ゴマじるこの作り方」、直線裁ちのコドモ服などがのっている。もちろん、電気洗たく機はまだなかった。 センタクはどこの家でもタライとセンタク板でごしごしと洗っていた。手前に見えるのは、井戸の水をくみ上げる手…

『暮しの手帖』 初期の商品テスト アイロン・電気ガマ・トースター

初期の商品テスト一覧 『暮しの手帖』の柱となった商品テスト。初めの頃は「日用品のテスト報告・暮しの手帖研究室」というタイトルでした。第1回めの〈ソックス〉が掲載されたのは、昭和29年の第26号。それから「日用品のテスト報告」というタイトルは…

「暮しの手帖研究室」の協力者を募集 1954年

「とと姉ちゃん」の第127話は、アイロンの商品テスト。ドラマでは、主婦テスターにアイロンがけを依頼しています。実際に、昭和29年の第27号で、編集部は「暮しの手帖研究室」に協力してくれる読者を募集しています。(商品テストの第1回目となる「ソッ…

ジャムを作りましょう サト・ナガセ『暮しの手帖』1954年

ページをめくっていて、写真の美しさに思わず手がとまってしまったのが、こちら。 イチゴの季節です ジャムを作りましょう サト・ナガセ バロック期のイタリアやオランダの絵画を見るようでもあり、モノクロを超えた色彩感と質感が伝わってきます。竹を編ん…

商品テストは消費者のためではない 『暮しの手帖』100号

花森安治「商品テスト入門」 『暮しの手帖』が日本ではじめて商品テストを公表してから17年目。第100号の出た昭和44年(1969年)までには、ソックス、マッチ、鉛筆、電球など身近な生活用品から始まって、アイロン、トースター、洗濯機、ストーブ…

童話「おくびょうなうさぎ」 富本一枝と平塚らいてう 1952年

平塚らいてうの座談会とサプライズ 第4号の平塚らいてう「ゴマじるこ」から3年。平塚らいてうが『暮しの手帖』に再登場するのは、第18号(昭和27年)の「我が若き日」という座談会になります。岡田八千代、林きむ子、山川菊栄、平塚らいてうと、明治に…

商品テスト(日用品のテスト報告)その1 ソックス 1954年

商品テストが誕生するまで 第20号(昭和28年)の「日本品と外国品をくらべる〈石けん〉 」は、商品テストの前身となった記事です。テストで取り上げた石けんは、すべて商品名は実名で出しています。しかし、石けんの洗浄力や、石けんが皮膚をあらす「遊…

石けん 日本品と外国品をくらべる 『暮しの手帖』 1953年

商品テスト前夜 昭和28年、第20号 「日本品と外国品をくらべる・石けん 暮しの手帖研究室」 「暮しの手帖研究室」というコトバが初めて登場した記事だと思うのですが、この〈石けん〉の比較はまだ「商品テスト」の前段階です。 『暮しの手帖』の柱のひと…

商品テストは「暮しの手帖研究室」から

商品テストと切っても切れないもの 『暮しの手帖』の柱のひとつだった「商品テスト」その「商品テスト」と切っても切れない存在だったものがあります。それは、「暮しの手帖研究室」 雑誌に初めて「暮しの手帖研究室」が登場したのは、昭和28年、第20号…

『暮しの手帖』に広告を載せないわけ 花森安治

〈商品テスト〉はヒモつきであってはならない 「ときどき、暮しの手帖に広告をのせないわけを聞かれる。理由は二つある。」 『暮しの手帖』に広告を載せない、広告費をもらわない理由について・・・花森安治は第100号の「商品テスト入門」のなかで、こう書い…

平塚らいてう「陰陽の調和」から 1949年

「暮らし」について 平塚らいてうが『暮しの手帖』に初登場したのは、第2号(昭和24年)に掲載された「陰陽の調和」というエッセイ。花森安治は、エッセイの原稿はあえて専門のことについてでなく、「暮らし」について書いてもらおうと考えていたようです…

蒸し器のプディング レシピ『暮しの手帖』1950年

ホットケーキの次は? 『暮しの手帖』のグラビア・ページに初めて掲載された食べ物の記事、それが「誰にでも必ず出来るホットケーキ」でした。レシピと作り方は、銀座一流店「コロンバン」の門倉国彦氏が担当。では、ホットケーキの次に掲載されたレシピは・…

フライパンの存在感 『暮しの手帖』第2号 1949年

焼あとのレンガで作った煖炉 「とと姉ちゃん」第90話では、終戦後の焼け跡に、間に合わせに建てられたバラックで何とか暮らす人たちを立ち退かせる事業に背を向けて、常子の雑誌作りに応じる花山の姿がありました。この場面で花山が拾い上げて手にしたのが、…

直線裁ちは着こなし勝負?『暮しの手帖』創刊号

創刊号の作品から 『暮しの手帖』創刊号に掲載された、6点の直線裁ちの作品。☆紺ガスリの服 ☆赤と黄の格子縞☆ジャンパー・スカート ☆更紗もようのツーピース ☆袖なし外套 ☆銘仙地の格子縞「紺ガスリの服」と「赤と黄色の格子縞」の2点は前回の記事で紹介し…

洋裁学校にモノ申す 花森安治 『暮しの手帖』創刊号

創刊号の「服飾の読本」から 朝ドラ「とと姉ちゃん」のなかで、花山と常子らが直線建ちの講座を開いて、当日会場に行ってみると、応募者はたくさんいたはずなのに誰も来ない、、実は、チケットを洋裁学校が買い占めてしまっていた、、という場面があります。…

直線裁ちのデザイン 『暮しの手帖』創刊号

着物を活用するために 昭和21年、銀座から『スタイルブック 1946 夏』が創刊されます。 『暮しの手帖』が創刊される2年前のことです。 「いろいろ考えると、日本の着物はなかなかいいものだ。戦争でふだん着るものには不自由しているが、まだ、昔からの着…

スタイルブックと直線裁ち 『暮しの手帖』創刊前

鎮子さん、花森安治と出会う 「とと姉ちゃん」のモデルとなった大橋鎮子さんが花森安治さんと出会ったのは、昭和20年10月なかばのこと。防空壕のなかで、戦争が終わった後のことをすでに考え、終戦の二ヶ月後には花森さんに出版の相談に行くのですから、…

外国のファッション雑誌と下着について『暮しの手帖』創刊号  

アメリカの流行雑誌から 『暮しの手帳』創刊号のグラビアページには、「ブラジアのパッドの作り方」という記事があります。「外国の雑誌を見ておりますと、ずいぶんと下着の広告が目につきます。それも大部分はブラジアとコルセットの広告で、いろいろの型や…