広告について語るときに花森安治の語ること 1955年

創刊から8年たって・・・

「暮しの手帖に、商品の写真や記事をのせるには、いくらぐらい出せばいいか?」

30号まで雑誌を作ったときに、花森安治は初めてそう聞かれたといいます。

創刊から8年、それだけ記事が読まれ、商品の売れ行きを左右する雑誌になっていたからですが。

村上春樹の著書に「走ることについて語るときに僕の語ること」がありますが。暮しの手帖が広告をのせない理由について、花森安治は初期の第9号(昭和25年)のあとがきで、すでに語っています。



第9号のあとがき

これは、ひとからよく言われることで、自分でいうのは、すこし変なのですが、もしかして、この雑誌に、ほんのすこしでもなにか清潔な感じがあるとすれば、それはこの雑誌に、一つも広告がのっていないことではないかと思います。

おそらく一般の雑誌で、広告のないのは日本でも、世界でも、めずらしいことなのでしょう。どうして広告をのせないのか、とよく聞かれるのでございます。

広告をのせれば、こんな雑誌でも、いくらかの広告費がいただけるし、それだけ経費のおぎないになることは、いくらこの道に日の浅い私たちでも、もちろん想像のつくことでございます。

それを知りながら、出来ないでいるのは、せめてもの、この清潔な感じを、いつまでも失いたくないと考えているからで、これは、たとえ何百万円の広告費をいただけるとしても、それとひきかえにはしたくない、というのが、私たちみんなの必死の気持ちでございます。

もとより、広告をどうのこうのという気持ちは少しもございません。ただ、せめてこのような雑誌一冊、隅から隅まで、活字一本まで、私たちの心ゆくまで作り上げたいとおもうからなので、この我がままも、通せるだけは、通してまいりたいと考えております。(第9号 あとがきより)


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雑誌の初期の第4号から「買物の手帖」という、商品テストのルーツになるような連載が始っています。

平塚らいてうが「ゴマじるこ」を書いた頃です。

その後、『暮しの手帖』の柱となる「商品テスト(日用品のテスト報告)」がスタートしたのは、昭和29年の26号から。

第1回目のテスト「ソックス」から始まって、マッチ、鉛筆、電気アイロン、安全カミソリ・・と続いていったあたりで、花森安治は「暮しの手帖に、商品の写真や記事をのせるには、いくらぐらい出せばいい?」と初めて聞かれた訳です。 

焼け野原で何もなかった終戦からは10年たっていました。


merimaa88.hatenablog.com

なぜ広告をのせないか

第9号のあとがきからは、まだメーカーとの軋轢(あつれき)はそれ程感じません。 

むしろ、広告収入に目をつぶっても「雑誌一冊、隅から隅まで、活字一本まで、自分たちの心ゆくまで作り上げたい」というひたむきな想いが語られます。

しかし、雑誌の影響力も大きくなるにつれ、第31号では、いつもは1ページのあとがきを2ページに増やし、花森安治の口調も具体性と強さを増します。


「広告といえば、この雑誌には、いわゆる「広告ページ」というのが一つもない。のせたらいいじゃないかとよく言われる。

ボクにしたって、広告とか宣伝の仕事で飯を食っていたこともあり、だから、いまだって人一倍それには関心があるし、そんなことより何より、第一この雑誌に広告をのせると、これはある広告代理業のやってくれた計算だが、少なく見積もっても、一号について二百万から三百万の広告収入があるという。

我々のような小さな規模の出版社では、これは全くノドから手の出るような金額である。

それを知っていて、広告を一つものせないというには、二つの理由がある。

一つは編集技術の点からである。

グラビアページなど、ああでもない、こうでもないと、写真の1センチ、5ミリの大きさまで気にして割りつけても、もしドカドカと広告に割りこまれたのでは、苦労の仕甲斐がない。これは活字のページにしたって、同じことである。

・・・それよりも、広告をのせると、商品の正しい批評や紹介が、全然できないとはいえるまいが、非常にやりにくくなるということである、

これが広告をのせない第二の理由である。というより、これが一番おもな理由だということになる。」(第31号あとがきより)


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右:31号表紙 1955年9月 

あるメーカーが抗議に来たついでに、「あなたのところは、広告をとめるという手がきかないからね」と言われたこともあるといいいます。

たとえば、A という商品の広告をのせていて、商品テストで A は「いい商品でない」という結果が出たとすると、おそらく、A から「取り消さなければ広告はのせない」と痛烈な文句がくる。よその商品をほめたといって、「広告は出さない」とゴネられることさえある。

日本有数の大新聞でさえ、こういったトラブルがないわけではない・・・

「広告料が重要な財源になっている以上、とどのつまりは涙をのんで折れることになりやすい。広告料が、そんなに入るという反面には、それだけの、あるいは、それ以上の、こうした負担があるというわけである。」(第31号あとがきより)

いいものはいいと、言わねばならない

私たちの暮しが商品に支えられている以上、その商品がもっとよくなってくれることは、暮しを良くする。

そのためには、批評や、いいものを紹介することは、「暮し」を主題とする雑誌ならば、どうしてもしなければならない仕事、と花森安治は書いています。 

「そのためには、世間の常識を破っても、ほめるものは名前入りでほめ、よくないものは名前を上げて、よくないと言わなければならない。」
「そのためには、何百万円やるといわれても、よくないものをいいと言うわけにはいかないし、一銭ももらわなくても、いいものはいいと言わねばならない。」


これが、この雑誌を作ってゆく気構えの一つであると、、。

「この気構えをつらぬいてゆくには、しかし、よほどの勇気がいる。そこには人間であるから、情にほだされる、力に押される。」

「ノドから手が出るほどの金額に目をつぶって、広告をのせないというのも、つまりは、その情にほだされる、力に押されるタネを、なるたけ前もって、一つでも取り除いておこうという気持ちからなのである。」

(第31号 あとがきより)


このあと、第56号(昭和34年)のベビーカー、第57号の「石油ストーブ」、第98号の「愚劣な食器洗い機」、第99号では食パン4万3千枚あまりを焼いた「トースター」と、伝説的とも言える数々の商品テストが行われていくことになります。